タイ国境の「忘れられた」ミャンマー難民の今
流入から35年経っても祖国への帰還進まず

  • 2019/12/30

難民の帰還の行方は

 タイ国境に近いミャンマー・カレン州の街、レケイコー村を訪ねた。高原の山麓に広がるこの村は、2015年に建設されて以来、帰還難民の受け入れを積極的に進めてきただけあって、現在は799世帯、3,199人が暮らす。人口の1割強が難民キャンプからの帰還難民に相当する計算だ。将来的には受け入れをさらに進め、1,500世帯、6,000人規模の村に拡大することが構想されている。

ミャンマー側のカレン州の国境に近いレケイコー村の様子。帰還難民を受け入れるために新しい家が建設されていた(筆者撮影)

 住民委員会が実施した最新の調査では、住民の6割が日々、国境を超えてタイのメソトの建設現場や縫製工場などで日雇い労働に従事し、残りの人々は村の近くで日雇いで農作業に就いていることが分かった。

 タイ国内には、こうしたミャンマーからの移民労働者が推定300万人暮らしていると言われる。ミャンマーの農村部にはこれといった産業もないことが原因だが、せっかく難民キャンプから祖国に帰還しても、仕事がなければ仕事を求めてタイに戻らざるを得ないという現実がある。

帰還民の受け入れを進めるレケイコー村では、食べていくための仕事をいかに得るかが大きな課題となっている(筆者撮影)

 また、村によって温度差はあるものの、帰還難民を受け入れる村人の側も概して複雑な感情やしこりを抱くことが指摘されている。村に余裕はなく、自分たちが食べるだけで精一杯なのに、帰還難民が増えれば、農地や仕事の取り合いに発展しかねないためだ。実際、かつてSVAがカンボジア難民を支援した際も、国内に留まり苦労した人々が帰還難民を「逃げて楽をした者」と蔑視する傾向は見られた。

 ミャンマーで民政移管が実現して以来、支援は国境の難民キャンプからミャンマー国内へと移っているが、住民の尊厳が守られる安全な「自主的帰還」が実現し、国境から難民キャンプがなくなる日まで、国際社会はその推移を見守り、自立を継続的に支援する必要性があるのは言うまでもない。

 「難民は社会を映し出す鏡」――。難民支援の究極の目的は、難民がいなくなることなのだから。

固定ページ:
1 2 3

4

関連記事

ランキング

  1. (c) 米屋こうじ バングラデシュの首都ダッカ郊外の街で迷い込んだ市場の風景。明るいライトで照…
  2. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  3.  ミャンマーで2021年2月にクーデターが発生して丸3年が経過しました。今も全土で数多くの戦闘が行わ…
  4.  2024年1月13日に行われた台湾総統選では、与党民進党の頼清徳候補(現副総統)が得票率40%で当…
  5.  台湾で2024年1月13日に総統選挙が行われ、親米派である蔡英文路線の継承を掲げる頼清徳氏(民進党…

ピックアップ記事

  1. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  2. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  3.  フィリピン中部、ボホール島。自然豊かなリゾート地として注目を集めるこの島に、『バビタの家』という看…
ページ上部へ戻る