タイ国境の「忘れられた」ミャンマー難民の今
流入から35年経っても祖国への帰還進まず
- 2019/12/30
軍への根強い不信感
メラ難民キャンプで図書館委員会を務めるソウ・ハラート・トンさん(58)は、カレン州の山奥から難民キャンプまで5日間、密林の中を歩き、2006年にキャンプにたどりついたカレン人だ。ヤンゴンの大学を卒業し、英語も堪能な知識人で、クリスチャンの名前を持っていることから、どこに住んでも軍の弾圧の対象となり、命の危険を感じてキャンプに逃げてきたという。そんな彼は、帰還が進まない理由として、「軍に対する不信とトラウマ」を挙げる。家を焼かれて田畑を失い、家族や親戚を殺された経験を持っている難民たちにとって、軍への不信感は到底ぬぐえるものではない、と言うのだ。
実際、2014年にタイのプミポン国王の故母后が創設した非営利団体、メーファ―ルアン財団とUNHCRが共同で実施した調査でも、9割の難民が「故郷の村には土地も仕事も学校や病院もない」「ミャンマーには帰りたくない」と答えている。村に戻っても、米国に渡った親戚や知人の生活には遠く及ばない上、土地や家屋は軍や他の家族に占領されている場合がほとんどであるからだ。
キャンプの図書館委員会の会議に参加していた図書館青年ボランティアの18才の男女4人に「ミャンマーへの帰還と第三国への定住、あるいは、タイ国内の定住、どれを希望するか」と尋ねると、皆、「できたらアメリカかオーストラリアに定住したい」と即答した。ミャンマーと両国では、受けられる教育の質や機会に大きな差があるためだという。彼らは第三国で質の高い教育を受けた後、ミャンマーに戻って祖国の発展に貢献したいという夢を持っていた。
また、メラ難民キャンプで生まれ育ち、2007年、10才の時に図書館員だった母に連れられて家族で米国に第三国定住したエッシーナ・ローレンスさん(23)にも注目したい。エッシーナさんは、奨学金を得てニューヨーク州の大学で国際関係を学んだ後、故郷に恩返ししようと2018年に1カ月半、SVAのインターンとしてキャンプでボランティアに参加。現在は米国に戻って大学院で国際法や人権を学んでいる。将来は、ミャンマーの難民や人権問題に携わりたいという夢を抱く。
キャンプ内の小学校は、柱とトタン屋根だけの教室に、丸太で作った机と椅子、黒板が置かれた簡素な作りだ。床はなく、地べたに座り込んで授業を聞く子もいる。それでも彼らは、より良い明日を信じ、希望を胸に元気に学んでいる。わが子の笑顔と未来は、親たちにとって何よりの生きる希望だ。