チュニジアの大統領選挙に見る「アラブの春」のその後
消えゆく変革の成功体験 民族や宗教を超えて無力感を共有する若者たち
- 2025/4/28
私がチュニジアを訪ねてから、1年が経とうとしている。留学していたイギリスの大学院で履修していたアラビア語を実践的に学ぶため、チュニジアにある提携校で2024年4月から1カ月間、研修プログラムに参加したのだ。イギリスを発つ前にチュニジアについて調べようとしたものの、得られたのは2011年に中東・北アフリカ地域で若者層を中心に急速に広がった民主化運動「アラブの春」関連の情報だけ。それ以外は、ほぼ何の情報も入手できないまま現地に向かった私が見たのは、ローマ時代から続く首都チュニスの長い歴史と文化、そして「アラブの春」の名残りだった。
2024年10月、チュニジアで「アラブの春」から三度めの大統領選挙が行われたことを受けて、私は現地に暮らす若者たちにアンケート調査を実施し、10数年前の民主化運動が今、政治に対する彼らの意識に意外な形で影響を与えているのを感じた。この記事では、複数のメディアの報道を交えながら今回の選挙戦を振り返るとともに、アンケート調査から浮かび上がった現代の若者たちの政治観を掘り下げる。
金曜礼拝を通じて域内に運動が拡大
アフリカ大陸の最北部に位置するチュニジア。人口は約1,246万人(外務省, 2025)で、日本ではその名を耳にする機会がさほど多くないかもしれないが、中東情勢はこの国を抜きには語れない。というのも、このチュニジアこそ、他国に先駆けて前述の「アラブの春」(ジャスミン革命ともいう)が始まり、その後、民主化に成功した唯一の国であるからだ。
ことの発端は2010年12月、一人の若者が生計の足しにしようとチュニスの街角の屋台で野菜を売ろうとしていたところ、警察に屋台を押収されて抗議の焼身自殺を遂げるという衝撃的な出来事に遡る。この事件は、普段から同国の失業率の高さに不満を抱えていた国内の若者たちによって、またたく間にSNSで拡散された。そんな彼らの怒りが、当時のベン・アリ政権に対する抗議運動、そして実質的な民主化運動へと発展するのに時間はかからなかった。
こうした抗議運動の様子は、アラビア語圏向けの衛星放送局アルジャジーラでも24時間体制で報道された。当時、中東・北アフリカ地域では多くの国々で政治的な集まりが禁じられていたが、イスラム教の宗教的な習慣である金曜礼拝が意見交換の場として機能したことも相まって民主化運動は各地に広がり、活発に展開されていく。その一方で、他国の介入によって武力衝突が起きた地域もあり、戦争という手段で目的を達成しようという思想も広がったことから、結果的に多くの国々では民主化運動が内戦や内乱に発展。NHKは「民主化を実現できたのは、エジプトとチュニジアの二カ国にとどまる」と、2021年の番組で伝えた。もっとも、エジプトでは2013年、民主的に選ばれたムルシ大統領を軍が引きずり下ろし、当時国防相だったシーシが翌2014年に大統領に就任。政権批判を抑え込む強権的な政治が復活している。
「民主化」は成功したのか
すでに述べた通り、「アラブの春」を経て唯一、民主化に成功した国とされているチュニジアだが、マグレブ地域の政治学者であるハディジャ・モフセン=フェナン博士は、そう見ていない。博士は、2024年に日本貿易振興機構(ジェトロ)と行った対話の中で「最終的にチュニジアは民主化に成功していない」との見方を示し、その理由として、ベン・アリ政権が崩壊した後に政治を担った人々の政治経験が圧倒的に欠如していたことを挙げている。
実際、同国ではそれまで政治の枠組みが特権階級に限られており、翌2011年に新政権の座についた人々には、政治を司った経験がなかった。彼らは、民主化運動が経済や社会問題に端を発していたという事実を見落とし、雇用の創出や生活の改善などの具体的な政策を打ち出すことができなかったため、若者の高い失業率や市民生活、政権の汚職問題はベン・アリ政権時代と変わらず、民主化が成功したとは言い難い状況が続いていた。
そんななか、2019年に行われた大統領選挙で「法に基づく厳格で透明な政治」を掲げて支持を集め、72.7%という圧倒的な得票率を獲得して当選を果たしたのが、現職のカイス・サイード大統領だった。公約とは裏腹に、サイード政権は2021年7月以降、大統領の特別措置を定めた憲法を適用して首相を罷免し、議会を停止するなど、独裁色を強め始める。その後、大統領令によって立法権・行政権を直接行使するなど権力を自身に集めて軍幹部を閣僚に起用し、各省庁の上層部にも軍出身者を配置。警察と軍の中立性が失われていったとジェトロは報告している。
2024年の大統領選挙では、いっときとはいえ民主化を果たした国とは思えないほど急速に独裁傾向を強めている現政権の姿が浮き彫りになった。以下、中東の報道を基に振り返る。
外部から遮断された不透明な選挙戦
まず、今回の選挙では、候補者17人のうち14人が不正の疑いを理由に立候補を無効とされた。このうち、チュニジアで唯一、大統領から独立している行政裁判所が無効を撤廃すべきだという司法判断を示していた3人についても、2021年7月の憲法改正以来、大統領の権力下に置かれている独立高等選挙委員会によって立候補が棄却された。中東の衛星テレビ局アルジャジーラによれば、サイード大統領は行政裁判所が今後、立候補者の選出や選挙に関わることを一切禁じたという。
結果的に、2024年のチュニジア大統領選選挙において立候補が認められたのは、サイード現大統領に加え、アヤチ・ザメル氏とズハイル・マグザウイ氏だけだったとアルジャジーラは伝えている。
このうちザメル氏は、コロナ禍の際、厚生福祉委員会の議長を務めていたうえ、2022年9月にはサイード政権に抵抗するアジムン運動を立ち上げた経歴の持ち主で、サウジアラビア初の英字新聞アラブニュースによれば、今回の選挙期間中に書類偽装の嫌疑をかけられ投獄された。他方、2013年に発足した左派汎アラブ政党「エシャーブ運動」の事務局長を務めるマグザウイ氏は、これまでサイード政権を擁護する発言を繰り返してきた。同氏は国内のLGBTQコミュニティに否定的なことでも知られ、市民活動団体から非難されているとアルジャジーラは評している。
2024年10月6日、一回目の投票が実施され、独立高等選挙委員会は翌日、現職のサイード大統領が90.69%と圧倒的な得票率を獲得したとの暫定結果を発表した。投獄中のザメル氏も候補者として登録されていたため7.35%を獲得したが、マグザウイ氏は1.97%にとどまり、二回目の投票が行われることなくサイード氏が再選を決めた。
選挙後、サイード大統領は政府系の通信社チュニジア・アフリカ・プレスを通じて「国民の願望を実現し、国を築き上げ、腐敗者、懐疑論者、陰謀者を一掃する」との声明を発表した。しかし、ジェトロは今回の選挙戦について、サイード大統領を支持するように投票構造が歪められていたことや、2011年以来初めてEU選挙監視団の立ち入りが認められず、外部から完全に遮断された不透明な形で実施されたことが国内外から批判されていると報告している。
民族や宗教を超えて無力感を共有する若者たち
さらに、かつて「アラブの春」の原動力として民主化運動を支え、政治変革の最前線に立っていた若者たちの政治離れも顕著に表れた。ジェトロの報告によれば、「アラブの春」直後の2011年の大統領選挙では64%に上った第一次投票の投票率が、今回は28.8%と激減した。有権者のうち、特に18~35歳の若年層の投票率は6%にとどまり、現政権に対する不信感が如実に示された。
そこで私は、現地の若者たちが今回の選挙をどう見ていたのかさらに知りたくなり、チュニジア滞在中に交流のあったフランス系チュニジア人の男性と、彼から紹介してもらった男女2人のアラブ系チュニジア人に対して意識調査を実施した。3人は私と同年代(20〜25歳)の大学生で、フランス語で教育を受けている。政治について日頃から家族とどんな話をしているか、投票所に足を運んだか、どの候補者を支持し、今回の結果をどう受け止めているのか尋ねながら回答の背景や理由を探り、今日のチュニジアにおける若者の政治意識を理解しようと努めた。
アラブ系チュニジア人の女性は、家族と政治の話はするものの、彼女自身は投票に行かなかったという。その理由として、彼女は「今回の選挙で示された数字は、すべて疑わしかったから」だと回答。また、公式に認められた3人の立候補者の中に支持したいと思える人物がいなかったことも投票を見送った大きな理由だとしたうえで、「誰に投票するか、私には選択肢がありませんでした」と振り返った。
一方、アラブ系チュニジア人の男性も、家族と政治の話はするものの、投票には行かなかったという。実は、彼には明確に支持していた人物がいた。自由憲政党の指導者だった女性弁護士のアビール・ムッシー氏だ。2024年の大統領選挙に立候補する予定だったが、選挙のプロセスを批判したことから、投票日2カ月前の8月に2年間の禁固刑を受け投獄されたという。男性は、「国を率いるにふさわしい資質があったのはムッシー氏だけだった」と、その政治手腕を高く評価したうえで、彼女が逮捕されてサイード氏が圧勝したことについて、「チュニジアは “アラブの春”によって独裁政治を終わらせたはずなのに、今回、大統領として選ばれたのが独裁者だなんて、なんて皮肉なんだ」と嘆いた。
また、フランス系チュニジア人の男性も、家族と頻繁に政治の話をするものの、投票には行かなかったという。理由を尋ねると、彼は「チュニジアで投票所に行くのは、頭脳よりも根性に忠実な人々だけだから」という答えが返ってきた。彼は、私がチュニジアでお世話になったホストファミリーの息子であり、1カ月間の滞在中、夕食の席でさまざまな話をした。政治に対する強い関心と怒り、そして「どう行動しても、どうせ何も変わらないんだ」という諦念が入り混じった複雑な感情を抱える彼の様子が、強く印象に残っている。彼は、社会の不条理に鋭い視点を向けながらも、それを打破する術がないことに苛立ちを募らせていた。そして、議論が白熱した後に、必ずある言葉を発した。「Anyway、どうでもいいんだけどね」。その言葉には、変化を切望しながらも叶わない現実に対する絶望が滲んでいた。選挙が実施されても彼が投票に足を運ばなかったのは、単なる政治への無関心ではなく、むしろ強く関心を寄せているがゆえの「無力感」が理由なのではないだろうか。
一般的に、政治に対する関心度の高さは、民族や性別、宗教といった属性に影響されると言われる。その意味で、フランス系やアラブ系など異なる民族が共生するチュニジアのような国の場合、支持する候補者や政党が民族ごとに異っても不思議ではない。だが、今回の調査を通じて見えてきたのは、チュニジアの若者たちが民族や宗教の違いを超え、政治への無力感を共有しているという現実だった。「民族や宗教という壁すら見えなくなる独裁政権、そして政治の変革を担おうという気すら排除してしまう選挙」――。それこそが、2024年に行われたチュニジア大統領選挙の本質だと言えるのではないだろうか。
国の変革を信じ、希望を託したいと思う候補者がいても排除される現実。現在の政治体制に対する不満の声が、「大統領」という名の独裁的な権力者が改変した法律により封じ込められる現実。それを眼前に突きつけられ絶望する若者たちの姿は、チュニジアの未来に残されていた民主主義というわずかな可能性すら、崩れ去ろうとしていることを象徴しているのかもしれない。
今回、チュニジア大統領選挙に対する若者層の受け止め方について調べてみようと決めた段階では、もっと選挙に熱意のある回答が返ってくるのではないかと予想していた。私が現地に滞在中、さまざまなコミュニティで政治について熱く語る若者に多く出会ったからだ。しかし、改めて話を聞いてみると、政治の批評ができるからといって、必ずしも彼らが社会の課題を打破するために政治活動に積極的に参加しているわけではないことが分かった。
翻って日本では、政治について声高に批評をする若者こそ少ないものの、以前に比べれば、選挙に行って興味のある社会課題を解決しようと働きかける人が増えてきているように思う。しかし、これは日本の選挙に一定程度の「信頼」があるからにほかならない。せっかく政治の批評という高度な議論を戦わせることができる優秀なチュニジアの若者たちが、「信頼」のない歪められた選挙が横行する国にいるばかりにアウトプットの機会を奪われているのは、あまりにも惜しいと感じる。
「政治について語れること」と、「政治を変えるために行動を起こすこと」の間に大きな壁が立ちはだかっている国、チュニジア。その国で諦めることを余儀なくされている彼らと同じ年代の若者として、また、投票に行くことで世の中の変革を期待できる日本で育った者として、私は、彼らの熱い声が「動き」となり、チュニジアに新たな歴史を刻む日が来ることを心から願っている。
(きりはたももか)2000年生まれ。日本で生まれ育ち、13歳からマレーシアへ留学。親しくしていたイエメン人から紛争の話を聞いたのを機に、中東地域に興味を持つ。大学進学のために一度日本に帰国したものの、卒業後はイギリス・エセクター大学アラブ中東研究所の修士課程に進学。アラブ・中東地域におけるジェンダー学を研究する傍ら、アラビア語を履修し、チュニジアで1カ月間、アラビア語留学を経験した。修士課程を修了後、日本に帰国して2025年4月より民間企業で勤務している。