「力による平和」を打ち出すトランプ米大統領流の「正義」とは
踏み絵を踏まされたパナマの選択と中国の一帯一路構想の行方
- 2025/2/11
米国で1月20日、第二次トランプ政権(トランプ2.0)がスタートした。トランプ大統領はさっそくメキシコやカナダからの輸入品に25%の追加関税を課す「トランプ関税」をはじめ、領土拡張に向けた政策などを次々と打ち出している。就任演説では筆者が想像していたよりも中国への言及が少なく、一見すると、中国問題のプライオリティはそれほど高くないような印象を受ける。
もっとも、そう見えるのも、緻密で周到な作戦なのかもしれない。そう気付いたのは、トランプ大統領があまりにも素早くパナマとの間で外交ディールの成果を上げたためだ。この結果、パナマ政府は中国が進める一帯一路政策からの離脱を決めた。この事実は何を物語るのか。
「パナマ運河を取り戻す」
トランプ大統領は就任演説の中で、パナマについて次のように述べた。
「米国はかつて、パナマ運河の建設にかつてないほど巨額の資金を費やし、3万8000人もの命を失った。われわれは、決してすべきではなかったこの愚かな贈り物によってひどい扱いを受け、パナマと米国の約束は反故にされた。われわれの取引の目的と条約の精神は完全に侵害されており、米国の船舶は過剰に請求され、いかなる方法、形態においても公平に扱われていない。同じことは、米海軍についても言える。いまや中国がパナマ運河を運営しているが、われわれは、中国ではなくパナマに運河を与えたのだ。米国は運河を取り返す」
就任演説の中でトランプ大統領が中国に言及したのは、この一回だけだった。
この発言が、単なるほら話やたとえ話などではなく、米国の大戦略(グランドストラテジー)の大転換を推進する最初の一歩であったことは、マルコ・ルビオ米国務長官が2月2日、就任後初の外遊先としてパナマに飛んだことから明らかになった。
パナマのムリノ大統領は当初、「パナマ運河を取り戻す」というトランプ大統領の発言に強く反発し、パナマ運河を中国が運営しているという指摘を全否定したうえで、「パナマ運河はパナマのものだ」と反論した。しかし、2日にルビオ米国務長官と会談した直後、ムリノ大統領は一帯一路からの離脱を表明した。CNNなどの報道によれば、ルビオ国務長官は、中国の影響力と支配がパナマ運河にとって脅威になっているというトランプ大統領の見方を伝え、「パナマ政府が即座に対応しない場合、米国は自国の権利を保護するために必要な措置を取る」と警告したという。
会談を終えたムリノ大統領は記者会見を開き、中国と締結している一帯一路の協力覚書の更新に署名しないことを明らかにしたうえで、パナマ運河の太平洋側に位置するバルボア港と、大西洋側のクリストバル港の管理・運営会社である香港のコングロマリット長江和記実業(CKハチソンホールディングス)傘下のハチソン・ポーツ社について、パナマ高官との間で汚職の事実がないか調査を行うことも約束した。
パナマはもともと台湾との間で国交を維持していたが、中国の浸透工作によって2017年に台湾と断交し、中国と国交を締結。翌2018年には習近平国家主席がパナマ初訪問し、当時のバレーラ大統領が正式に一帯一路の協力覚書に調印したのだった。この覚書は3年ごとに更新され、次は2026年に更新される予定であったが、ムリノ大統領はそれを待たずに更新しない方針を示した。事実上、即時離脱の意向を示したことになる。
また、パナマ運河の両端に位置する港の運営は前出のハチソン・ポーツ社が2047年まで権利を保有する契約を結んでいるが、ブルームバーグなどの報道によれば、パナマ当局はすでに同社との契約解除を検討し始めているという。おそらくは汚職や不正などを建前の理由として、訴訟問題にならない形で契約を解除することを模索するものと思われる。
米国の裏庭」で進展していた中国化
米国にとってパナマ運河は、米軍艦や軍事物資も航行する生命線だ。それが中国系企業にコントロールされていると、最悪の場合、運河を封鎖されることもあり得る。たとえ封鎖はされなくとも、運河を通る米国の積荷情報が軍事物資を含めて中国に筒抜けとなり、米国にとっては国家安全上、大きなリスクとなる。ハチソン・ポーツは香港の企業だが、国際都市としての香港の信用は、習近平国家主席が雨傘運動や反送中デモを弾圧し、香港版の国家安全法を施行したことなどによって失墜し、現在の香港政府や香港企業はもはや完全に中国の支配下にあると見られる。また、ハチソン・ポーツの現在のトップは創業者である李嘉誠氏の長男、ビクター・リー氏だが、彼は中国共産党や各民主党派、各団体、そして各界の代表で構成される中国政治協商委員会の香港地区委員として、中国共産党に忠誠を誓わざるを得ない立場だ。
パナマに対する中国の浸透工作は、2015年頃からあからさまになっていた。特に、中国の嵐橋集団(ランドブリッジ)が2016年、パナマ第二の都市、コロンの自由貿易区内のマルガリータ島の港について99年にわたる租借権を9億米ドル(約972億円)で買収し、ロジスティクスセンターの建設を開始したことは、米国にとって大きな衝撃であった。嵐橋とは、その名の通り、黄海に面する山東省の嵐橋港に拠点を置く物流のコングロマリット企業である。
同社は2004年、中国国務院の政策に従い民営企業として港湾建設のライセンスを取得。その後、オーストラリアやパナマなど、海外の物流企業や港の運営権を次々と取得した。同社が2015年にオーストラリアのダーウィン港の租借権を99年にわたり手に入れた際は、同港の近くに米軍基地があったことから嵐橋グループと人民解放軍の関係を勘ぐる専門家の声もあった。嵐橋がパナマでマルガリータ島のロジスティクスセンターを購入したことについても、軍事目的ではないかと見られている。
嵐橋が進出したタイミングでパナマは台湾から中国へと外交スイッチに踏み切り、一帯一路にも加盟した。パナマ・シティからコスタリカ国境に至る400kmの高速鉄道建設や、パナマ・シティにおける新たな地下鉄の建設支援などの鉄道計画も、一帯一路の一環だ。また、嵐橋集団率いる中国企業コンソーシアムは、マルガリータ島のコンテナ港開発にも着手し、同国で最も近代的な港にすることを約束した。加えて中国は、パナマ運河に14億ドル(約1540億円)をかけて第四の橋を建設する契約も国有企業を通じて獲得。自由貿易協定の締結に向けて交渉を開始することも表明していた。さらに、パナマに孔子学院を建設して中国語や中国文化の普及に注力していたほか、新型コロナウイルスのパンデミック期間には積極的に医療用品も寄付するなど、「パナマの中国化」に向けた戦略を着々と進めていた。
力ずくで退けられた一帯一路の広がり
とはいえ、こうしたあからさまな中国浸透策を受けて、パナマ人の間では警戒が強まった。親中派のバレーラ大統領から中道保守のラウレンティーノ・コルティッツォ大統領に政権が交代すると、中国の一帯一路の一環として進められていた鉄道計画は中断し、自由貿易協定交渉も暗礁に乗り上げた。2021年には、嵐橋集団によるコンテナセンターの建設と運営計画に対する租借権や特許権も撤回された。嵐橋集団の投資額や雇用者数が契約で定められていたより少なかったことがパナマ政府の監査により判明したという契約違反が表向きの理由とされた。
それでも中国がすでにパナマに足場を築いたことに変わりはなく、新たに就任したムリノ大統領の下、凍結されていた鉄道計画や第四大橋建設計画が中国の働きかけにより再開されることが決まっていた。「米国の裏庭」とも呼ばれる中米地域で中国浸透がこれほど進んでいる事実にトランプ大統領が危機感を抱いたのは、言うまでもない。政権のスタートダッシュでパナマを恫喝したトランプ大統領は、こうして望み通りのディールの成果を獲得したのだ。
さらにムリノ大統領は、今回のルビオ米国務長官のパナマ訪問について、「パナマと米国の新たな関係構築に向け扉を開くものだ…(中略)…パナマに対する米国の投資を可能な限り増やそうとするものだ」と記者会見で述べ、一帯一路の一環として進める予定だった鉄道建設事業など投資を米国に求めるつもりであることをうかがわせた。中国か米国か、どちらかを選ぶようトランプ政権から踏み絵を踏まされたパナマは、米国を選んだのだ。
パナマのこの動きは、習近平国家主席が進める一帯一路の広がりを米国が力ずくで退けた初の動きという点で、かなり大きな意味があろう。トランプ氏は大統領就任直前、中国の習近平氏と電話で会談し、中国の統一戦線工作ツールとみなされているショートムービー用投稿プラットフォーム「TikTok」を禁止する法律の施行に猶予を設けたり、「中国に対する追加関税は望んでいない」と発言したりと、対中姿勢を軟化させて素振りを見せたていた。しかしそれはあくまでパフォーマンスに過ぎず、実際は、追加関税についても、メキシコとカナダ製品に対する追加関税は発動を停止したにも関わらず、中国に対しては発動に踏み切った。
避けられない米中対立
さらにトランプ大統領は、就任演説で「パナマ運河を取り返す」と発言した後、西部開拓時代に領土拡張を正当化するために掲げられた標語「マニフェスト・デスティニー(神の定め)」を引き合いに出し、宇宙開拓計画にも言及した。おそらくはこれが、トランプ政権が打ち出した新たなグランドストラテジーだろう。デンマーク領グリーンランドの買収や、「ガザをアメリカが所有する」という発言、そしてWHO(世界保健機関)など国連組織からの脱退表明なども、単なる領土拡張の野心にとどまらない。
中国共産党が中国式現代化や一帯一路構想、国連支配を通じてグローバルサウスの取り込みを図り、新たな国際社会の秩序を構築しようという壮大な戦略を描いているのに対抗し、トランプ大統領はキリスト教の価値観に基づく国際社会の再構築を意図しているのではないか。
それがトランプ流の正義であり、信念だとするならば、トランプ大統領はビジネスマンであるどころか、利益や経済成長、発展を犠牲にしてでもマニフェス・ディステニーに従う理想主義者なのかもしれない。同様に、追加関税を課す狙いは米国の貿易赤字の是正にとどまらず、麻薬の密輸や移民の流入も彼にとって表面的な社会不安や経済上の問題にとどまるものではない。どちらも国家安全上の問題であり、トランプ流の「正義」に深く関わることであるからこそ、彼は「力による平和」という概念を躊躇なく打ち出せるのだと考えられる。

SUPPORT法に署名するトランプ大統領(2018年10月24日撮影) © United States Senate – Office of Dan Sullivan /wikimediacommons
経済を犠牲にしても国家の安全を優先し、国際社会の枠組みを再構築する。そのためには軍事力を含む力の行使もいとわない――。こうした、トランプ大統領が言うところの「アメリカンドリーム(アメリカの黄金時代)を取り戻す」という発想は、「中国の夢」「中華民族の偉大なる復興」という習近平国家主席の考えと、まるで対であるかのように酷似している。
よく似ているからこそ、米中は必ず対決局面を迎えるだろう。そして、両国が現政権のままである限り、おそらく米中関係に妥協やwin-winはあり得ないと思われる。その際、日本はどう立ち回るのか、今から真剣に考えておかなければならない。