バングラデシュ ダッカ・テロ事件から10年
ホーリー・アルチザン襲撃事件が問いかける、暴力を生む社会の構造
- 2026/7/10
2016年7月1日夜、バングラデシュの首都ダッカで、日本人7人を含む多くの命が奪われたホーリー・アーティザン・ベーカリー襲撃事件から10年を迎えました。事件後、捜査が進められ、裁判も行われましたが、あの日を知る人にとって、事件は今も終わっていません。私たちは、犠牲者を悼み、記憶を受け継ぐとともに、「あの事件がなぜ起きたのか」という問いに、改めて向き合う必要があるのではないでしょうか。
バングラデシュ研究者の日下部尚徳さんが、国内政治や社会の分断、若者の急進化、国際的な過激思想など、複数の要因が重なり合った事件の背景を読み解き、成長する社会の中に生じる見えにくい亀裂をどう理解するのか、社会が受け継ぐべき問いについて考えます。
2016年7月1日夜、バングラデシュの首都ダッカで発生したホーリー・アーティザン・ベーカリー襲撃事件は、同国の現代史に深く刻まれた出来事である。大使館、援助機関、外国企業関係者が多く暮らすグルシャン地区のレストランが武装集団に襲撃され、日本人7人を含む20人の人質と警察官2人が犠牲となった。
事件から10年を迎える今、まず必要なのは、犠牲となった方々に改めて哀悼の意を表し、その記憶を丁寧に受け継ぐことである。そのうえで、なぜこのような暴力が、経済成長を続け、国際協力や外国投資を受け入れながら発展してきたバングラデシュで起きたのかを考える必要がある。
この事件は、一つの原因に還元して説明できるものではない。国内の過激派ネットワーク、国際的なジハード(聖戦)主義の影響、都市中間層の若者の急進化、宗教政治をめぐる緊張、オンライン空間の拡大、そして国家による治安対応が複雑に交差していた。ホーリー・アーティザン事件を考えることは、暴力を生み出す社会の亀裂と、それにどう向き合うべきかを問い直すことでもある。
国内の過激派と国際テロ思想の接点
事件直後、いわゆる「イスラム国(IS)」は犯行声明を出した。そのため、国際社会では、この事件は「ISによるテロ」として受け止められた。一方、バングラデシュ政府は一貫して、外国から来た戦闘員による犯行ではなく、国内の過激派組織「ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)」系のネットワークが中心となって実行した事件だと説明してきた。
そのため、この事件はしばしば「ISによるテロだったのか、JMBによるものだったのか」という二項対立で論じられてきた。しかし、実態はそれほど単純ではない。
事件後の裁判で焦点となったのは、国外からの直接的な指揮命令があったかどうかではなく、国内の過激派ネットワークがどのように犯行を計画し、実行犯を支援・扇動したのかという点であった。
一方で、ISが発信した映像や宣伝、殉教を称揚する言説は、実行犯や支援者の思想形成や想像力に少なからぬ影響を与えた可能性がある。つまり、この事件は、実行したのは国内の過激派ネットワークだった。しかし、その思想的な背景には、ISが象徴する国際的なジハード主義があった。
事件に先立つ社会的分断と標的型暴力
ホーリー・アーティザン事件は、決して突然起きた事件ではなかった。
バングラデシュでは、2013年前後から、世俗主義的なブロガーや作家、出版社関係者、宗教的少数者、外国人、LGBT活動家などを標的とする襲撃が相次いでいた。2015年には複数のブロガーが殺害され、その中には、事前に警察へ保護を求めていた人物もいた。
この時期の暴力には、無差別に人を殺すというより、思想や信条を理由に「敵」を選び出して攻撃するという特徴があった。世俗派や宗教的マイノリティ、外国人、性的少数者、宗教的に「逸脱」とみなされた人びとが、攻撃対象として名指しされていったのである。
その背景には、1971年の独立戦争をめぐる歴史認識と、それをめぐる政治的対立があった。ハシナ政権下は、独立戦争でパキスタン軍に協力し、虐殺や迫害に関与したとされる人びとを裁くため、戦争犯罪裁判を進めた。この裁判は、多くの国民から「独立戦争の犠牲者に正義をもたらすもの」と支持された一方、被告の多くがイスラム政党ジャマテ・イスラミの幹部だったことから、宗教政治をめぐる対立をさらに深めることになった。
2013年には、こうした戦争犯罪への厳罰を求める「シャハバーグ運動」が、世俗派や若者を中心に大きく広がった。しかし、その一方で、イスラム保守勢力の側では、この運動を主導したブロガーや活動家を「反イスラム」と非難し、社会の分断は深まっていった。
こうして、事件前のバングラデシュでは、「誰が正しい信仰を持つのか」、「誰が国家にふさわしい市民なのか」をめぐる対立が激しくなっていた。一部の過激派は、その線引きを暴力へと変えたのである。
ホーリー・アーティザン事件は、こうした国内の社会的分断が、国際社会にも衝撃を与える形で噴き出した出来事だったと言える。
「貧困」だけでは説明できない若者の急進化
事件後、バングラデシュ社会に大きな衝撃を与えたのは、実行犯の社会的背景だった。過激主義は、しばしば貧困や教育機会の不足、農村部の疎外と結び付けて語られる。しかし、ホーリー・アルチザン事件の実行犯には、都市の中間層・上層に育ち、英語教育や私立学校、私立大学で学んだ若者が含まれていた。
これは、「貧しいから過激化する」という単純な図式では説明できないことを示している。
もちろん、貧困や格差が無関係だという意味ではない。むしろ重要なのは、「よりよい未来を手にできる」という期待と、その期待に現実が応えられない閉塞感が同時に存在していたことである。
都市部の若者は、英語教育やインターネット、SNSを通じて、海外の大学、グローバル企業、自由なライフスタイルなど、日常的に世界とつながる環境で育ってきた。とくに都市中間層では、教育こそが社会的成功への道だと考えられ、高い学歴や安定した職業が強く期待される。
しかし、現実には、その期待に見合うだけの雇用機会や社会的な活躍の場が十分に開かれているとは限らない。希望する仕事に就けない、自分の能力を生かせない、親や社会の期待に応えられない――。そうした不安を抱える若者も少なくない。さらに、政治参加の機会も限られ、社会の意思決定に自分たちの声が反映されているという実感を持ちにくい。
経済成長によって中間層が拡大しても、それだけで若者が将来への展望や社会の中の居場所を見いだせるわけではなかった。
そうした空白に、宗教的に純化された共同体の物語や、「世界のムスリムが攻撃されている」という被害者意識、暴力を「正義」や「救済」と結び付ける言説が入り込む。
若者の急進化は、貧困だけでは説明できない。将来への期待と現実とのギャップ、生きる意味や社会からの承認を求める不安が、過激思想と結び付くことで進むのである。
オンライン空間と現実の人間関係
2010年代半ばのバングラデシュでは、スマートフォンとSNSの普及により、若者は国内外の情報へ容易に接続できるようになっていた。それは学習や交流の機会を広げる一方で、過激な言説や陰謀論、宗教的憎悪、そして暴力を正当化する映像や情報にも触れやすくなることを意味する。
しかし、若者の急進化は、オンライン空間だけで完結するわけではない。
多くの場合、ネット上の言説は、友人関係、学校や大学、宗教サークル、家族との関係、閉じた仲間集団など、現実の人間関係と結び付くことで影響力を強める。
実際、実行犯の一部は事件前に所在不明になっていたと報じられており、その期間に誰と接触し、どのような思想的影響や訓練を受けたのかが注目された。
このように、急進化を「家庭の問題」や「宗教教育の問題」だけで説明することはできない。むしろ、個人の心理、仲間関係、オンライン上の情報、政治的言説、社会的孤立など、さまざまな要因が重なって進むものとして見る必要がある。
そのため、対策も警察による摘発だけでは不十分である。学校、家族、宗教指導者、市民社会、そしてデジタル教育が連携し、若者が不安や怒りを暴力ではなく言葉で表現できる環境をつくることが重要である。
裁判が示した責任と、残された問い
事件後、捜査当局は、実行犯5人を含む21人が事件に関与したと発表した。実行犯は現場で死亡し、その後の裁判では、襲撃に直接加わった者ではなく、犯行の計画や支援、共謀に関わったとされる被告らが裁かれた。
2019年、ダッカの反テロ特別法廷は7人に死刑判決を言い渡し、1人を無罪とした。その後、2023年10月、高裁は7人の有罪を維持しながらも、一審の死刑判決を「自然死までの終身刑」に減刑した。高裁は、被告らは実行犯ではないものの、犯行の計画に関与し、実行犯を扇動・支援したと認定し、その責任に応じた量刑を言い渡した。
この司法判断は、事件の法的責任を、国内の過激派ネットワークの計画・支援に求める政府や司法の説明を補強するものとなった。ただし、それは国際的な過激思想の影響や、オンライン空間で進んだ急進化の可能性を否定するものではない。
重要なのは、裁判によって明らかになることと、社会が学ぶべきことは必ずしも同じではないという点である。
裁判は、誰がどのように犯行を計画し、支援し、実行に関与したのかという法的責任を明らかにする。しかし、それだけでは、若者がなぜ過激派思想に引き寄せられたのか、社会がなぜその変化を見過ごしたのか、そして暴力を防ぐために国家や教育機関、地域社会が何をすべきだったのかまでは十分に説明できない。
少なくともホーリー・アーティザン事件については、法的責任の解明は進んだ。一方で、若者の急進化や、事件を生み出した社会的背景についての議論は、なお十分とは言えない。個々の被告の責任を問うことと、事件を生み出した社会の構造を検証することは、分けて考える必要がある。
テロ対策の成果と副作用
事件後、バングラデシュ政府は対テロ政策を大幅に強化した。テロ対策ユニット(CTTC)や、既存の即応部隊(RAB)を中心に、情報収集や摘発、資金や人の流れの監視が進められた。
その結果、この10年間、ホーリー・アーティザン事件に匹敵する大規模な都市型テロは確認されていない。対テロ能力の強化が一定の成果を上げたことは事実である。
しかし、その一方で、治安対策のあり方をめぐる批判も強まった。
RABをめぐっては、強制失踪や超法規的殺害への関与が国際的に問題視され、アメリカの財務省は2021年12月、RABと関係者を制裁対象に指定した。同省は、NGOの報告を引用し、RABなどの法執行機関が2009年以降、600件を超える強制失踪や、2018年以降、約600件の超法規的殺害、拷問に関与した疑いがあると指摘している。
デジタル空間でも、治安維持と表現の自由の間で緊張が高まった。2018年に制定されたデジタルセキュリティ法は、サイバー犯罪や過激主義への対応を掲げていたが、実際には政府批判や報道、風刺、市民活動を萎縮させたと批判された。2023年にはサイバーセキュリティ法へ改正されたものの、表現の自由を制約しかねないとの懸念が続いている。
重要なのは、「治安対策を強化すべきかどうか」という二者択一ではない。
暴力的過激主義から市民を守ることは、国家の重要な責務である。しかし同時に、そのために拡大された権限が、司法の監視や議会による検証、報道の自由、人権保障といった民主的な統制のもとで運用されているかどうかが問われる。
治安対策が政府に批判的な言論や市民活動を抑える手段として用いられるならば、社会の不満や対立は見えにくくなるだけで、根本的に解決されるわけではない。
10年後の今、考えるべきこと
ホーリー・アーティザン事件は、経済成長と国際化が進むバングラデシュ社会の内部に、孤立、不信、政治的分断、宗教をめぐる緊張が存在し続けていたことを示した事件であった。
開発は貧困を減らし、教育機会を広げ、人びとの生活の質を変える。しかし、それだけで若者に居場所や意味を与えられるわけではない。国家が成長を語る一方で、政治参加や言論の自由が狭まれば、不満は社会の表面から見えにくくなる。そして、見えにくくなった不満が、時に過激な言葉に取り込まれることがある。
この事件から得られる教訓は、単に「警備を強化すればよい」という単純な話ではない。もちろん、援助関係者や企業関係者、研究者、学生を含め、海外で活動する人びとの安全を確保することは不可欠である。その重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。
しかし、安全を確保することは、現地社会と距離を置き、関係を閉ざすことではない。むしろ、現地の人びととの日常的な信頼関係があるからこそ、社会の変化や不安をいち早く感じ取り、リスクを的確に捉え、適切に対応できる。
同時に、安全の名のもとに、市民の自由や人権が損なわれてはならない。暴力的過激主義に対抗するためには、治安機関の能力を高めるだけでは不十分である。人びとが不安や不満を公に語り、異なる意見が抑え込まれることなく自由に表明できる公共空間でなければ、社会の亀裂や不満は見えにくくなるだけで、解消されるわけではない。
あの日から10年。私たちは、犠牲となった方々への哀悼の意を新たにし、その記憶を丁寧に受け継ぐとともに、事件が問いかけたものを問い続けなければならない。
そのうえで、この事件をバングラデシュだけの出来事として終わらせてはならない。成長する社会の中に生じる見えにくい亀裂をどう理解するのか。そして、国際協力に携わる私たちは、安全を確保しながら、現地社会との信頼を深め、市民の自由や人権を守る。この三つをどう実現していくのか。その問いは、10年を経た今もなお、私たちの前にある。
(くさかべ・なおのり)立教大学異文化コミュニケーション学部准教授。専門はバングラデシュ地域研究、開発社会学、国際協力論。バングラデシュを中心に、子ども、難民、NGO、開発援助、社会変動について現地調査を重ねている。著書に『自分ゴトとして考える難民問題』『わたし8歳、職業、家事使用人。:世界の児童労働者1億5200万人の1人』など。現場を歩き、そこに暮らす人びとからの学びを大切にしている。趣味はオーケストラでのトロンボーン演奏。バングラデシュのビリヤニが好きだがカロリーが気になる。





















