ヨルダンから見るアラブ社会 (第2話) 
パレスチナ人二世から見たヨルダンで生きるパレスチナ人たち

  • 2025/1/27

 「パレスチナ人」と一言で表しても、生まれ育った場所や環境によって、その人生や考え方は大きく異なります。第2話では、ヨルダン在住の磯部香里さんが現地で出会ったパレスチナ人、シナーンさんの話をお届けします。シビルエンジニアとして日本の企業と仕事をした経験もあるシナーンさん。その人生をたどると、ヨルダンとパレスチナが密接に結び付いた存在であり、イスラエル・パレスチナ問題が、決してパレスチナの地に住む人々だけの問題ではないことが見えてきます。

人口の7割がパレスチナにルーツがある国
 ヨルダンの首都・アンマンの裕福な住宅街にあるアパートの一室。ドアを開けると、オレンジ色のライトが照らす廊下が続き、その横には「サロン」と呼ばれる客間とリビングが広がっている。廊下の壁にはパレスチナの地図が飾られ、サロンにはエルサレムにあるイスラム教やユダヤ教の聖地アルアクサ・モスクの絵や、パレスチナの民族衣装をモチーフとしたタベストリーが掛けられている。
 出迎えてくれたのは、パレスチナにルーツを持つシナーンさんとその家族だ。奥さんもパレスチナ人で、家の中はパレスチナの文化や象徴にあふれている。食卓には、パレスチナのおもてなし料理である「マクルーバ」が並ぶ。「子どもたちと毎日、パレスチナのことを話します」と語る彼は、ヨルダンで生まれ育ち、ヨルダン国籍を持つ。

お米、鶏肉、揚げた茄子カリフラワーなどの野菜をスパイスともに炊く「マクルーバ」(2024年12月、ヨルダンで筆者撮影)

 ヨルダンでは、人口の約7割がパレスチナにルーツがあると言われている。多くの人が、1948年の第一次中東戦争や、1967年の第三次中東戦争をきっかけにヨルダンに避難してきた。シナーンさんの家族も1967年の戦争後にヨルダンに移り住み、生活を築いてきた。

 シナーンさんは1961年生まれの63歳。彼が生まれた当時、ヨルダン川西岸地区と東エルサレムはヨルダンの統治下にあった。ヨルダンは1948年の戦争中にパレスチナの一部を占領し、1950年に正式に併合。この併合は国際社会から非難を受けたが、ヨルダン川西岸地区の住民にはヨルダン国籍が与えられ、ヨルダンの人口は40万人から130万人に増加した。

 その時代、シナーンさんの父親はヨルダン軍の将校として勤務していた。父親は自由にヨルダンとパレスチナを行き来し、ヨルダン中西部の街サルトからエルサレムやパレスチナ西岸地区にあるナブルスやジェリコに気軽に訪れていたという。このような生活は、1967年の戦争でイスラエルがヨルダン川西岸地区を占領するまで続いた。

認められなかったイエローカード

 イスラエルによる占領後の1983年、ヨルダン政府はヨルダン川西岸地区出身のパレスチナ人に「イエローカード」を発行した。このカードは、パレスチナ出身のヨルダン国民であることを証明するものだ。これ以降、イエローカードを持つ人はイスラエルの許可を得ることなく自由にヨルダン川西岸地区を訪問できる一方、持たない人はイスラエルの許可が必要になった。

イエローカード(画像の一部を加工しています)(2024年12月、ヨルダンで筆者撮影)

 シナーンさんはイエローカードを持っていない。父親がヨルダン軍に所属していたため、条件を満たせなかったからだ。 これは、イスラエル政府がイエローカードの発行条件である家族再統合の許可――つまり、パレスチナに住んでいる他の親族と同じ家族であることを証明できるもの――を、ヨルダン政府や軍で働いていたパレスチナ人には与えなかったためである。そのため、シナーンさんは1977年、16歳の時に父親に連れられて一度パレスチナを訪れたきり、パレスチナの地を踏むことができないままだ。結婚後、妻の家族に統合し、さらにヨルダン川西岸で半年以上居住すればイエローカードを取得するための条件を満たせるはずだった。しかし、申請を進めようとした矢先にイスラエルの占領地支配に対するパレスチナ人の一斉蜂起(第一次インティファーダ)が起きたため、それは叶わなかった。その後、イエローカードの取得を諦め、イスラエル大使館で4回にわたりヨルダン川西岸への渡航申請を試みたものの、理由を告げられることなく全て却下されたという。

 シナーンさんのように、イエローカードを持たないヨルダン在住のパレスチナ人は少なくない。彼らは、ヨルダン川のすぐ向こう側にあるパレスチナをヨルダンから眺めることしかできない状況に置かれている。 

国境を越えるルーツと共感

 パレスチナ人としてヨルダンに暮らすことをどう思うか尋ねると、シナーンさんはこう答えた。「人々はパレスチナ人やヨルダン人と国籍で分けようとするけれど、それは間違っています。1918年まではパレスチナ、ヨルダン、レバノン、シリアは一つの大きなコミュニティでした。『パレスチナ人』『ヨルダン人』と分ける考え方自体がナンセンスです」

 シナーンさんの言う通り、イギリス、フランス、ロシアによるサイクス・ピコ協定によってパレスチナが国際管理地域とされ、国境が引かれるまで、この地域は一つの大きな社会だった。国境線は大国の政治的な意図で引かれたものだが、人々のルーツは同じなのだ。シナーンさんは「パレスチナ人だから」「ヨルダン人だから」と線を引くと本質を見失うと語る。実際、ヨルダンで見られる名字の多くはシリアやパレスチナにも存在しており、シリア危機の際、ヨルダンの人々がシリア難民を受け入れた背景には、こうした共通のルーツや共感があったと聞く。

 「私の親友の一人は、ヨルダンで生まれ育ったヨルダン系ヨルダン人で、今はアメリカに住んでいます。彼は私よりも熱心にデモに参加し、パレスチナ支援のために活動しています」

パレスチナにルーツを持つ人々の名字をまとめた本(2024年12月、ヨルダンで筆者撮影)

 さらに、「ブラックセプテンバー」として知られる1970年に起きたヨルダン政府とパレスチナ解放機構(PLO)の内戦を振り返りながら、こう語る。

 「あの時、私と家族を助けてくれたのは、ヨルダン人の友人でした。確かに、パレスチナ人とヨルダン人の間に対立があったことは事実ですが、ヨルダン人の中には、PLOに所属していた人もいれば、私の父のようにヨルダン軍で働いていたパレスチナ人もいました。つまり、この争いは、パレスチナ人とヨルダン人の対立ではなく、ヨルダン政府とPLOという政権同士の戦いだったのです」

 この発言から、ヨルダンとパレスチナは、政治的にも、そして社会的にも、切り離せない関係にあることがわかる。シナーンさんの言葉は、パレスチナ人とヨルダン人を単純に分けることの難しさを表していると言える。

 「パレスチナに公平と正義を」

 さらに、現在のパレスチナを取り巻く状況について尋ねると、シナーンさんは静かに口を開いた。

 「若い世代の人たちは、しばしば私たちの世代を非難します。『何もしてくれなかった』『臆病だ』『怠け者だ』と。事実、私たちはパレスチナを守ることができず、イスラエルに抵抗して土地を取り戻すこともできませんでした。PLOもパレスチナ人が抵抗できない存在になってしまいました。これらは私たちの責任です」。シナーンさんの言葉には、自らの世代が抱える葛藤が率直に表れている。

 ガザにおけるイスラエルとハマスの戦闘が始まって、1年3カ月が経過した。2025年1月15日に6週間の停戦と人質の解放が合意されたが、状況は依然として厳しく、先行きは不透明だ。特に、2024年10月下旬にイスラエル議会が可決した法案は、国際社会に大きな衝撃を与えた。この法案では、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によるイスラエル国内での活動が禁止されたうえ、イスラエル当局がUNRWAと接触することも禁止されることとなった。同法案が施行されれば、2025年1月末以降、UNRWAは実質的にガザ、ヨルダン川西岸地区、および東エルサレムで活動できなくなる。その結果、ガザの多くの人々が一層深刻な危機に直面することが懸念されている。

 犠牲になるのは、一般市民だ。ヨルダン川西岸地区にあるジェニン難民キャンプでも、2024年12月以降、パレスチナ自治政府とパレスチナ武装勢力の衝突が続いている。食料や水、電気が不足し、銀行や金融サービスへのアクセスも断たれた。子どもたちは学校に通えず、UNRWAのクリニックも閉鎖されたままだ。一部のジェニン難民キャンプの住民は他の街への避難を強いられている。

自宅に飾っているパレスチナの地図の前で微笑むシナーンさん(2025年1月、ヨルダンで筆者撮影)

 この状況について、シナーンさんは悲痛な言葉を紡ぐ。
 「今の状況は、本当に悲惨です。正直、短期間で良くなるとは思えません。ガザやヨルダン川西岸で起きていることの恐ろしさに、言葉を失います。一体、誰がこれを引き起こしたのか。それは政権です。イスラエルやアメリカだけでなく、他の国々も、政治的な事情からイスラエルを支援しているのが現状です」
 最後に、シナーンさんは世界に向けてこう訴えた。「パレスチナに公平と正義を。ただ、それだけです。正義を貫き、公正でいてください。私はいつか、パレスチナが再び自由になり、平和の中で暮らせる日が訪れることを願っています。インシャアッラー(神が望むならば)」
 シナーンさんは、今日も家族とパレスチナについて語り合う。パレスチナがシナーンさんの身体の一部であり、血であり、心であり、故郷なのだから。

 

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