香港の自由はチャイナマネーに敗北するのか
惨状に踏み込めない米国、危惧される「政冷経熱」の蜜月時代

  • 2021/7/28

東京オリンピックに香港から参加しているバドミントン男子の伍家朗選手が、香港徽章をつけず、自分の姓名と「HONGKONG CHINA」だけ背中に記した黒シャツ姿で出場し、議論を呼んでいる。香港体制派の民建聯氏がフェイスブックで「五輪を政治化している」と非難したのに対し、市民が伍選手を支持し、炎上しているのだ。チームは「伍選手にユニフォームを提供するスポンサーがおらず、五輪出場のために必要最低限の文字を手持ちのシャツにつけただけ」と釈明し、政治的な意図を否定。代わりのユニフォームを手配中だが、伍選手の黒シャツが激論となったのは、香港における弾圧がそれだけ過酷であるからにほかならない。フェンシング男子フルーレの個人戦で、香港の張家朗選手が金メダルを獲得した表彰式では中国国歌の「義勇行進曲」が流れたが、ネット上のSNSには、誰かがデモのテーマソングである「願栄光帰香港」(香港に再び栄光あれ)の演奏をつけてアップしていた。本当に望んでいる光景はこれだと、いわんばかりに。

東京五輪に出場したバドミントン男子の伍家朗選手(2021年7月24日撮影)(c) ロイター/アフロ

議会から民主派がほぼ一掃

 香港の状況を改めて整理しておきたい。施行から一年余りになる香港国家安全維持法(以下、国安法)と、今年3月に可決された選挙制度の改正によって、香港の自由の息の根は止まった。今、香港は「光復香港(香港に再び栄光あれ)」というスローガンを口にするだけで国家分裂を扇動した罪に問われる上、外国メディアに香港政府と中国共産党の批判を語るだけで「外国勢力と結託して国家安全を損ねている」と批判される状況だ。さらに、香港の将来に絶望して警官をナイフで襲って自殺した男に献花するだけで、テロを擁護する危険思想の持主だとして、逮捕・起訴されかねない。
 さらに香港メディアは、国安法に基づいて中国メディア以上の厳しい内部検閲を受け、自主規制を求められるようになった。その結果、70冊以上が禁書処分にあい、公立図書館から撤収された上、新しい出版物についても出版社自身が「国安法違反にならないように」に自主規制することが求められるようになった。

第31回香港ブックフェアの様子。展示コーナーには習近平国家主席の著作や礼賛本が目立った(2021年7月14日撮影)(c) AP/アフロ

 香港では、7月14~20日にアジア最大のブックフェアが開催されたが、期間中、会場では、中国共産党と香港当局の意向を受けた自主的なパトロール隊が、国安法違反の書籍を見つけようと目を光らせていた。香港のレジャーや文化関連事業の企画・運営を行う行康楽文化事務署も「国安法違反は、民間からの通報であっても警察に処理を任せる」と公言したことから、出展者は縮み上がり、目立つ展示コーナーには習近平国家主席の著作や礼賛本を置いておくのが安全だという判断になったことから、ブックフェアはまるで文革祭りのような様相を呈した。

返還記念日を翌日に控え、祝賀の飾りつけが行われた香港市内(6月30日撮影) © Alex Chan Tsz Yuk

 また、選挙制度も改正され、立法会選挙や行政長官選挙ともども民主派が排除される仕組みとなった。これまで総議席70議席中35議席の小選挙区直接選挙枠があった立法会(議会)は、総議席が90議席に増やされた。その一方で、直接選挙枠は20議席に縮小され、直接選挙で選ばれた区議が多数を占める区議会枠から選出される5議席も撤廃された上で、選挙委員会枠が40議席増やされ、民意が反映されにくくなった。しかも、立候補者の条件として愛国者であることが必須となり、これまでかろうじて議席の3分の1以上を維持してきた民主派が立法会からほぼ一掃されることになった。これは、立法会には香港の未来を左右する重要な法律を否決する力がなくなるということを意味する。

資金凍結による蘋果日報の廃刊

 こうした状況のなか、香港では今年の上半期に特筆すべき自由弾圧事件が3件、発生した。

 第一に、蘋果日報の廃刊だ。蘋果日報は、かつてはゴシップネタやプライバシーを暴く芸能ネタを報じ、イエローペーパーとして低く見られていたこともあるものの、1995年の創刊以来、香港の報道の自由を体現してきた日刊紙である。

蘋果日報の最後の朝刊は100万部刷られたが、数時間で完売した © Alex Chan Tsz Yuk

 創業者の黎智英氏は、中国から香港に自由を求めて逃れてきた後、肉体労働者から事業家として成功した人物で、香港の自由を誰よりも尊ぶメディア人の筆頭でもある。90年代には1日40万部前後の部数を誇り、香港で二番目に売れる新聞となった。活字離れが激しい近年も10万部前後の発行部数をキープし続け、最後の朝刊となった6月24日付紙面は100万部を刷ったものの、数時間のうちに売り切れた。

蘋果日報の社屋の前で支持を表明する親子連れ © Alex Chan Tsz Yuk

 蘋果日報は、言論弾圧に屈して消えたわけではない。黎智英氏の不屈の精神は有名で、2014年に雨傘運動が広がった際は、自宅の門に車が突っ込むなど、当局から激しい嫌がらせや脅迫を受けたものの、運動に参加している若者の言葉を正確に伝える報道を貫いた。
 同氏の姿勢は、2019年に起きた反送中デモの報道の際も変わらなかった。違法集会参加の罪に問われ、累計で禁固20カ月に上る判決を受けたり、外国勢力と結託した香港国安法違反の罪で起訴されたりしたが、同氏は「刑務所の中でも戦い続ける」と主張した。また、蘋果日報の記者たちも、皆、筋金入りのジャーナリストである。

蘋果日報の最後の紙面を掲げる市民ら © Alex Chan Tsz Yuk

 では、なぜ蘋果日報が停刊に追い込まれたのかと言えば、親会社のネクスト・デジタルが6月17日に香港警察当局から二回目に家宅捜査を受け、同社の資産230億ドル分の銀行口座が凍結されたことが直接の原因だ。前月の5月には、ネクスト・デジタルの筆頭株主だった黎智英氏の個人資産も凍結されていた。蘋果日報は、いわば「兵糧攻め」によって運営資金が尽きたのである。単に検閲を強化して言論を弾圧するだけでなく、個人や企業の私有財産を凍結するという自由主義経済のルールを踏みにじるやり方は、世界に衝撃を与えた。

区議への忠誠強要と学生会の弾圧

 第二に、すべての区議に対して香港政府への忠誠宣誓に署名することが義務付けられたことも、大きな衝撃が走った。応じない場合、区議の資格が剥奪され、昨年1月以降の議員報酬の返納が求められるという方針も報じられた。施行前に辞任すれば議員報酬の返納は免除されることから、直接選挙枠の452区議席のうち389議席を占める民主派議員のうち、半数以上にあたる214人が7月中旬までに辞職した。これも、有権者が公平な選挙で選出した議員に対し、議員報酬の返納という、いわば経済を人質にとった言論統制であり、卑怯なやり方だと言わざるを得ない。

自由と民主と人権を求め抗議する学生会のメンバーたち © Alex Chan Tsz Yuk

 第三に、大学の学生会が潰されたことのショックも大きかった。これは、香港の繁華街である銅鑼湾でデモの警戒に当たっていた警官が7月1日に会社員の50歳男性によって襲撃され、重体となった事件に端を発する。会社員はその後、ナイフで自分の胸を刺して自殺。香港当局は、香港の独立を志向する「本土派」による単独テロの犯行だと発表したが、多くの香港市民は会社員に同情的で、事件現場に献花や哀悼に訪れる人々が絶えなかった。一方、男性が勤めていた豆乳飲料大手の維他奶社が遺族にお悔やみの手紙を送ったことが外部にもれると、中国国内の消費者は「テロ犯罪者を擁護するのか」と批判し、同社製品の不買運動が起きた。

香港大学には、デンマークのアーティスト、イェンスガルスキオが天安門事件に対する抗議の意を示して制作した「国殤之柱」が安置されており、学生たちは毎年6月4日に追悼の意を込めてオレンジ色に塗り直す © Alex Chan Tsz Yuk

 こうした中、香港大学学生会は7月7日、「悲しみに心が痛む。彼は香港のための犠牲者だ」と哀悼する声明を発表。これに対し、香港政府が「テロ行為の煽動であり、香港国安法違反だ」と批判したことから、学生会は声明を撤回し謝罪したものの、政府は謝罪を受け入れず、学生会への家宅捜査を強行した。

香港大学内の学生会への家宅捜索の様子 © Alex Chan Tsz Yuk

 この事態を受けて、香港大学は学生会との関係を絶ち、拠点の撤収を命じたため、1912年の結成以来、香港の社会運動に大きな影響を与え続けてきた香港大学学生会は、事実上、潰された。ほかの大学の学生会も、次々と解散させられている。

うなだれる香港大学学生会のメンバー © Alex Chan Tsz Yuk

 英国の統治下にあった1970年代、香港の大学の学生会は、英国に反発する左派運動の主役的な役割を担っていたが、英国政府は少なくとも大学構内での言論と思想の自由を認めていた。それこそが、学問の自由を支えるものであるからだ。

固定ページ:

1

2

関連記事

ランキング

  1. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  2.  ミャンマーで2021年2月にクーデターが発生して丸3年が経過しました。今も全土で数多くの戦闘が行わ…
  3.  2024年1月13日に行われた台湾総統選では、与党民進党の頼清徳候補(現副総統)が得票率40%で当…
  4.  台湾で2024年1月13日に総統選挙が行われ、親米派である蔡英文路線の継承を掲げる頼清徳氏(民進党…
  5.  突然、電話がかかってきたかと思えば、中国語で「こちらは中国大使館です。あなたの口座が違法資金洗浄に…

ピックアップ記事

  1. ミャンマーで国軍が与党・国民民主同盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー氏らを拘束し、「軍が国家の全…
  2.  フィリピン中部、ボホール島。自然豊かなリゾート地として注目を集めるこの島に、『バビタの家』という看…
  3.  中国で、中央政府の管理監督を受ける中央企業に対して「新疆大開発」とも言うべき大規模な投資の指示が出…
ページ上部へ戻る