届かぬ支援 インドに逃れたミャンマー難民の今(第3回)
元国軍兵士らのキャンプも
- 2024/12/27
- 届かぬ支援
ミャンマーでは、2021年の軍事クーデター以降、国軍と武装勢力の戦闘や弾圧を逃れるために、自宅を離れて避難する人々が急増しています。国連は2024年11月27日、避難を強いられた人々の総数が340万人を超えたと発表しました。海外に逃れた難民の多くは陸路で国境を越え、タイやインドで避難生活を送っています。
このうちタイでは、日本をはじめ、各国のNGOがミャンマー人避難民の支援を行っている一方、ミャンマー北西部のチン州から逃れた人々が多く避難するインド・ミゾラム州は、国際社会からの支援がほとんどなく、関心も高いとは言えません。そんななか、インド内務省は12月下旬、治安悪化を理由に、マニプール、ミゾラム、ナガランドの北東部3州への外国人の自由な入域を14年ぶりに禁止。政府から事前許可を取得することを求める通達を出し、人道支援への影響が懸念されています。
2024年11月にミゾラム州を訪ねたジャーナリストの丹村智子さんが支援の手が届いていない避難民キャンプの人々の姿を3回にわたり伝える連載の最終回です。(第2回はこちらからご覧いただけます)
国軍がクーデターを起こした直後から、ミャンマーでは職務をボイコットすることで社会機能や経済活動をまひさせ、軍の統治に抗議する市民による不服従運動(CDM)が始まった。不服従運動は医療従事者や教員ら公務員から銀行や物流といった民間企業で働く人々へと広がった。市民による抗議デモも各地で行われ、国軍はこれを弾圧。次第に武器の使用や拘束といった強硬手段を取るようになり、武力衝突へと発展した。不服従運動を貫く公務員やその家族は次々に当局に拘束され、国内で潜伏生活を送るか国外に逃げざるを得ない状況に置かれた。
ミゾラム州のある町には、不服従運動に参加した国軍の元兵士をはじめ、元警察官や元公務員が暮らす難民キャンプがある。敷地内には小規模ながら野菜畑や養鶏用のケージも設けられ、組織で働いた経験のある人が多いからなのか、規律ある共同生活を送っている様子が見て取れた。
「少年時代、村にやってきた軍人の姿を見て、その格好良さに憧れた。でも現実は全く違った」。14歳か15歳で入隊したという30代の元国軍兵士の男性は後悔をにじませた。6人兄弟の末っ子として育った男性の父は早世し、暮らし向きは楽ではなかった。国軍に入れば安定した収入も得られるとあり、魅力的に映ったのは無理もない。だが入隊後は「奴隷のような暮らし」が続き、「10年たったらチャンスがあると聞いていたが、そんなものはなかった」と振り返る。
(編集部注)グーグルマップ上は「ゾーカタール」は「ゾークホーサ」と表記
男性が国軍を抜け出したのは、民主派勢力との戦いでとっさに取った行動がきっかけだった。ある集落での戦闘で、家から逃げ遅れた老人が目に留まった。見過ごせば火に包まれる可能性が高い。「とにかく目の前の人を助けたいと思った」。男性は老人の手を引いて安全な場所に誘導した。腹がすいているだろうと、自身の携行食も分け与えた。ところがそれを見ていた他の兵士が「お前はそっち側なのか」と三本指を立てた。ミャンマーでは民主化を求め国軍に抗議の意を示すポーズだ。その日はやり過ごしたものの、本隊に戻れば死刑になることを悟った男性は、部隊が野営準備している隙を見て逃げ出した。
ひたすら野山を走り、出会った市民に助けを求め、不服従運動を支援する人々の導きでインド内のキャンプへたどり着いた。ミャンマー国内に残る家族に連絡する手だてはなかった。男性は、自分が脱走したために妻は国軍に拘束されたと推測する。元気ならば70歳近くになる母の状況もわからない。「妻と一緒に穏やかに暮らしたかった。平和な国になってほしい。もうこれ以上死人を出してほしくない」
キャンプ内には非暴力を貫いた元公務員も暮らす。脅威と憎悪の対象だった元国軍兵士との軋轢は生じないのか聞くと、難民を支援する職員は「元兵士や元警察官であっても、不服従運動に加われば民主化を求める仲間として受け入れられる」と話した。クーデターとその後の国軍による弾圧がなければ殺し合うことはなかったはずで、国軍兵士や警察官らも無理を強いられた被害者と考えれば理解できなくもないが、それだけにこの対立の理不尽さを再認識した。
元兵士、警官らが暮らす難民キャンプを支援する男性によると、ここでの特徴的な課題は、自国民に手をかけたトラウマに苦しむ人の精神的なケアや、荒れた軍隊生活が長く道徳観に欠ける人の再教育だという。話を聞いた元兵士の男性も、戦闘について語る時には前後の脈絡がめちゃくちゃになり興奮気味にまくし立てる場面があった。つらい記憶に心をかき乱されたのかもしれない。
ミャンマー国内の分断は、長期化する中で各民族の思惑の違いが浮き彫りになり、複雑化している。戦いの勢力図が塗り変わっても変わらないのは、多くの難民が食料不足や健康不安に悩む生活を強いられ、一日も早い平和的解決を願っているということだ。日本政府を含め国際社会は、ここまで危機が広がる前に有効な手だてを打てなかった反省とともに、食糧や医療といった難民への人道支援を急ぐ必要がある。
(完)