「最後の秘境」を「失われた秘境」にしないための命懸けの闘い
フィリピンのパラワン島で生態系を守る警備隊を描いた映画『デリカド』が公開
- 2025/6/4
パラワン島の鉱山からニッケルを輸入する日本
映画『デリカド』に出会うまで、筆者はパラワン島についてほとんど何も知らなかった。調べてみると、特にダイバーに人気が高い北端の街エルニドは、第二次世界大戦中、日本軍に占領されていたことが分かった。
しかし、パラワン島と日本の関係は、戦時中にとどまらない。国際環境NGO のFoE Japanによれば、日本は1970年代からパラワン島南部のリオツバニッケル鉱山で産出された鉱石を輸入し、建築資材やキッチン用品の製造に不可欠なステンレス鋼などに加工してきたという。20年前からは、精錬事業も日本企業が現地で手掛けている。つまり、日本に暮らす私たちも、パラワン島の森林破壊に加担してきたと言えよう。
FoE Japanは、住友金属鉱山などがリチウムイオン電池の生産に欠かせない事業として2005年より進めているニッケルの製錬事業がパラワン島の自然環境に与える影響を危惧しており、現在、ニッケル採掘と精錬事業の停止を求める署名活動を実施中だ。
筆者は映画『デリカド』の公開を控えた2025年5月、FoE Japanの職員でフィリピンを拠点に2006年よりパラワン島の鉱山開発の状況を調査し、問題提起を続けている開発金融と環境チームの波多江秀枝さんに話を聞いた。
――パラワン島で日本企業が進めるニッケル採掘と製錬事業を巡る状況を教えてください。
(波多江)パラワン島南部では複数の鉱山開発が進んでおり、2005年からは住友金属鉱山の子会社が精錬事業を行っている。この島に初めて日本人が入ったのは1960年代に遡り、1978年に太平洋金属がニッケル鉱石の輸入を開始した。輸入されたニッケルは、50円玉や100円玉、車の部品などに使われている。
先住民族パラワンの人々は、50年前に日本の技術者が鉱脈調査に来た際、採掘による影響を正しく理解しないまま開発を受け入れてしまった。結果的に彼らは今、代々住み続けてきた森を追われ、水質汚染にも直面している。
また、気候変動対策や脱炭素社会の機運の高まりを背景に、電気自動車のバッテリーなどに使われるリチウムイオン電池の需要が高まり鉱山開発が拡大するなか、コミュニティ内の分断も顕在化している。企業が社会的責任(CSR)の名の下にオートバイや携帯電話、農耕具などをパラワンのリーダー層に与えているため、開発に反対する意見を表明しづらい状況が生まれ、住民間の溝が深まりつつあるのだ。それでも反対の声を挙げれば、『デリカド』で描かれるボビー代表と同じように脅迫を受け、命の危険にさらされる状況だ。
――FoE Japanが企業に求めてきたことは。
(波多江)私たちは当初、一緒に開発地域に入り、水質汚染の根本的な原因を共同で調査し対策を協議することを申し入れたが、受け入れられなかった。
この事業には、フィリピンの鉱山会社(リオツバニッケル鉱山社)と、住友金属鉱山の100%子会社である精錬会社が関わっているが、住友金属鉱山は「精錬工場の排水に含まれる六価クロムの量は基準値内だ」と主張している。「問題は、自分たちではなく、鉱山会社にある」という姿勢だ。だが住友金属鉱山は、鉱山会社の最大株主であるニッケルアジア社にも26%出資しており、決して無関係ではない。
また、鉱山会社と精錬会社は四半期に一度、共同でモニタリング調査を実施し、水質に問題はないとしているが、調査結果は公開していないうえ、住友金属鉱山は六価クロムを相対値でしか示さないため、実態が分からない。
他方、同社は2012年、鉱山会社に働きかけて野積みした鉱石を大きなキャンバスシートで覆うことや、雨が降っても沈殿池から敷地内に水が流れ込まないように池の壁を高くすることなど、4つの対策を取ると約束した。しかし、対策がとられた後も、FoE Japanの独自調査では基準値を上回る六価クロムが検出されており、共同調査の提案も受け入れられないため、今回は要求レベルを一段上げて、開発の一時停止と水質汚染対策の策定を申し入れることにした。私たちは、フィリピン政府が2024年初頭に鉱山開発の拡大を認可して以来、木の伐採エリアが一層広がっていることをドローンで確認しており、危機感を強めている。
――AFP通信は今年3月、パラワン州が新たな鉱山開発の認可を今後50年間、禁止したと報じましたが、このニュースをどう見ますか。
(波多江)この決議自体は喜ばしいが、すでに認可済みの鉱山開発は止まらないため、引き続き働きかける必要がある。
――映画『デリカド』を通じてパラワン島の現状を知る日本の皆さんへのメッセージは。
(波多江)私たちの生活が誰かの犠牲の上にあることを知り、その事実とどう向き合うか考えてほしい。また、脱炭素化に移行するために電気自動車や再生可能エネルギーへの転換が進められているが、現在の生活を維持したままでは別の犠牲を生むことに留意しなければならない。大量生産、大量消費、そして大量廃棄の社会を見直さない限り、私たちや、目に見えないところで私たちとつながっている人々の生活を守ることは不可能だ。