【書評】宇田有三著『ロヒンギャ 差別の深層』ロヒンギャ問題をどう考えるべきか
ミャンマーの「土着化したムスリム集団」を論じた好著

  • 2020/10/5

 第3章「ロヒンギャ問題を理解するための視点」では、四つ目の「問い」である「ミャンマーに対する日本側(我々)の視点の問題」が、幅広い視野に基づいて論じられている。ここでは近代以降に使われるようになった「国民」「民族」「少数民族」「先住民」「先住民族」「市民権」という用語の具体的な意味確認から始まり、それに基づいてロヒンギャが「民族」であるか否かが議論される。その結論として、ロヒンギャを「民族」としてとらえるのではなく、ミャンマー国内に定住するムスリム・コミュニティのひとつとしてとらえ、「ロヒンギャ・ムスリム」と呼ぶのがふさわしいという見解が提示される。

 さらに、日本人がミャンマーを見る際に見過ごされがちなミャンマーと日本との関係史(特にアジア・太平洋戦争期における日本軍のビルマ侵略)についてもとりあげ、日本人が忘却している戦時中の日本軍の加害について、ロヒンギャ問題とのつながりを絡めて記述している。

 

 以上の内容から構成される本書の全体的な評価は、次のようにまとめることができよう。

 

(1)なぜロヒンギャ問題が複雑なのか、わかりやすく、しかし安易に単純化することなく論じ、必要な基本情報をくまなく取り込んで記述している。その点で画期的であり、一般読者だけでなく、ロヒンギャ難民を取材するメディア関係者にとって必読の価値がある。

(2)「国民」「民族」「先住民」「先住民族」「市民権」という用語を的確に整理し、そのうえで15世紀ころまで遡れるベンガル出自のムスリムであるロヒンギャをどのようにとらえるのがふさわしいのかを議論している。このような視点からのロヒンギャへのアプローチは必要不可欠であり、この議論を避けてロヒンギャ問題を論じることはもはやできないことを明らかにしている。

(3)ロヒンギャ問題を含むミャンマー問題そのものを、日本側のミャンマーを見る視点に潜む問題を明らかにしながらとりあげ、とりわけアジア・太平洋戦争期における日本軍のビルマへの加害の史実について述べている。これによって、日本人に、ミャンマーにおける一連の問題が自分たちにも深く関わることなのだという理解を促す工夫がなされている。

(4)一方で、ロヒンギャを「民族」ではなく、ミャンマー国内に定住するムスリム・コミュニティのひとつとしてとらえ、「ロヒンギャ・ムスリム」と呼ぶべきであるという見解については、納得できるものの一定の疑問が残る。それによって問題解決が進むとは思われないからである。仮にロヒンギャがその呼称を受け入れたとして、ミャンマー社会の多数派はそれを認めるであろうか。「民族」という分類呼称にかえて「ムスリム・コミュニティ」を用いても、「ロヒンギャ」という名称自体は残るわけであり、英国による最初の侵略戦争が開始された1824年より前から現在のミャンマー連邦内に住んでいた人々の末裔だけが土着「民族」であると信じる国民の多くは、その呼称を認める可能性は低い。彼らが「ロヒンギャ」名称に強い反発を示すのは、それが土着「民族」の名称として響くからである。ロヒンギャ側が「ベンガル系ムスリム」等のインド起源を思わせる呼称を受け入れない限り、国民の多数派が彼らを自国民として受け入れる可能性は低い。人権尊重の立場に立つ限り、「民族」であれ「ムスリム・コミュニティ」であれ、「名乗り」としての「ロヒンギャ」という呼称は大切にされるべきである。とするならば、両者の間の絶望的な「壁」を乗り越えるにはいかなる努力がミャンマー側に求められるのか、より深い議論が求められよう。

 

 最後に、本書が多くの日本人に読まれることを期待するとともに、ミャンマーに対する日本側の視点の問題性を扱った部分を除外した英訳版の出版を考えてほしいと願う。それだけ国際的に見ても意義ある議論が展開されている本だからである。

宇田有三著『ロヒンギャ 差別の深層』高文研、2020年8月、317ページ

 

<参考>

本書以外でロヒンギャ問題を扱った最近の優れた日本語書籍

 中坪央暁『ロヒンギャ難民100万人の衝撃』めこん、2019年8月

 日下部尚徳、石川和雅(共編著)『ロヒンギャ問題とは何か』明石書店、2019年9月

 村主道美『ロヒンギャの「物語」と日本政府』青山社、2020年2月

 

 

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