ミャンマー(ビルマ)知・動・説の行方(第13話)
「シャンである」ことと「シャンになる」ことをひも解く

 民族をどうとらえるか―。各地で民族問題や紛争が絶えない世界のいまを理解するために、この問いが持つ重みは、かつてないほど高まっています。一般的に、民族とは宗教や言語、文化、そして歴史を共有し、民族意識により結び付いた人々の集まりを指すとされますが、多民族国家ミャンマーをフィールドにしてきた文化人類学者で広島大学名誉教授の髙谷紀夫さんは、文化と社会のリアリティに迫るためには、民族同士の関係の特異性や、各民族の中にある多様性にも注目し、立体的で柔軟な民族観の構築が必要だと言います。

 特にビルマとシャンの関係に注目してきた髙谷さんが、多民族国家であるにもかかわらず民族の観点から語られることが少ないミャンマー社会について、立体的、かつ柔軟に読み解く連載の第13話です。

北部シャン州のラショーで開かれた「全国シャン新年祝賀会」の開会式の様子(2018年12月8日、筆者撮影)

第三回全国シャン新年祝賀会(ラショー、2018年12月6~9日) 

 今回は、2018年12月に北部シャン州の中心地、ラショーで開かれたシャン新年祝賀会に参加した時のことを紹介しよう。これは、2012年のケントゥン(第8話参照)と、2014年のタウンジー(第10話参照)に続きシャン文芸文化協会の中央本部が主導した三回目の全国レベルの祝賀会で、シャン暦の元日(ビルマ暦ナドー月白分1日)にあたる西暦の12月8日をはさんで前後4日間にわたり盛大に開催され、全国からシャン文芸文化協会34団体の代表者が集まった。

 筆者は、祝賀会が始まる前日の12月5日に飛行機でヤンゴンからラショーに移動し、宿泊所があったマンスー僧院で、カチン州とザガイン管区から来ていたタイ・リェン(ビルマ語でシャン・ニー)の人々と懇談する機会を得た。彼らは前出の三回の全国シャン新年祝賀会と、シャン文芸遺産(リックロン)会議(第11話第12話参照)にすべて積極的に参加していたシャン系の人々である。
 一行は、カチン州に住むシャン系の人々に関する説明資料に加え、彼らが少数民族武装集団のカチン独立軍から日々、受けている被害の概要をまとめた配布用資料を事前に準備していた。翌日からの舞台で披露する舞踊の練習に励む若者たちを横目に見ながら境内の一角で受けた説明からは、シャン系の人々の中でもマジョリティと言えるシャン州のシャン族とは対照的に、他の民族に埋没しがちなカチン州とザガイン管区に住むシャン系の人々の存在感をアピールしたいという切なる願いが伝わってきた。 

「全国シャン新年祝賀会」の来賓席で記念撮影に応じるタイ・カムティ長老(左端)と、ザガイン管区タムー郡のシャン文芸文化協会代表(中央)。右端は筆者(2018年12月6日、筆者提供)

 代表は「カチン州では、かつてシャン語でムアンコンと呼ばれていた町がモーガウンというビルマ語の名前で呼ばれるようになったり、かつてシャン語でムアンヤンと呼ばれていた町がビルマ語でモーニィンと呼ばれるようになったりしており、ビルマ語化が進んでいる」「学校での教授言語をシャン語にしようと試みたことがあるものの、人々はシャン語を忘れ、シャン民族としての意識が希薄化しつつあるのが実情だ」と述べ、危機感をあらわにした。さらに代表は、「シャン諸民族について語らずしてカチン州は語れない」と強調したうえで、「カチン州議会には、州内の人口に応じてシャン民族担当議員が一人任命されている。もう一人推薦できれば、事態が好転する可能性がある」と続けた。

文芸功労者の顕彰式が組み込まれたプログラム

 翌6日に3回目の全国シャン新年祝賀会が始まった。4日間にわたるプログラムの皮切りは、ラショー市内のシャン文芸文化協会会館で開かれたシャン文芸功労者の顕彰式(シャン語でポイ・クーモー・タイ)だった。それまでも筆者は、ヤンゴンの新年祝賀会(第9話参照)や中国国境の町ムセーの新年祝賀会(第15話で紹介予定)で伝説的な文芸功労者を紹介したり、現役の功労者を顕彰したりする式典に参加したことがあったが、顕彰式が正式なプログラムに組み込まれた新年祝賀会に出席したのは、この時が初めてだった。1968年12月に文芸功労者の日が初めて祝賀されてちょうど50周年にあたるため盛大に祝賀されたということだった。
 この年は、第7話で紹介した6人に加え、主に20世紀に文芸遺産に貢献した僧侶3坊と俗人3人の計12人が顕彰された。壇上に安置された仏陀像の左右には彼らの肖像画や写真が並べられ、右端にはシャン民族の旗が、左端にはミャンマー国旗が掲げられていた。式典の最後には、存命の功労者としてさらに3人が紹介され、記念品の贈呈も行われた。

シャン文芸功労者の顕彰式で記念品を贈呈されるシャン長老ウー・サイアウントゥン(左端:第3話参照)(2018年12月6日、筆者撮影)

 顕彰式の後は、ラショー市郊外の造成地に場所を移して新年祝賀会が開かれた。会場にはシャン民族の歌唱や舞踊、芝居が披露されるステージが設営され、シャン文化を紹介するブースや、シャンの食事を提供する屋台が客席を取り囲むように並んでいた。

 夕刻になると、色違いの衣装をまとったシャン族の女性たちが200人ほどステージ前の広場に集まってきた。さらに、神獣の舞を表現するトー踊りや、神話に出て来る鳥たちの舞を表現したキナラ・キナリの踊り手たち、太鼓と鐘の奏者たちの姿もあった。男女のペアが20~30組、ステージ上に並んでシャンの旗に敬礼したのを皮切りに、4日間にわたる歌舞のパフォーマンスが始まった。

「全国シャン新年祝賀会」の初日にステージ前に整列したシャン族の女性たち(2018年12月6日、筆者撮影)

 筆者は来賓席から舞台を楽しみながら、インド東北部から参加していたタイ・アホムの一団や、彼らをインド国境まで出迎に行き、ラショーに連れてきたというザガイン管区タムー郡のシャン文芸文化協会代表と知り合った。全国規模のシャン新年祝賀会に参加するのは初めてだという彼は、いささか緊張しながらも、他のシャン文芸文化協会代表らとの交流を楽しんでいるようだった。

民族意識と民族言語をめぐる位相

 3日目の12月8日がシャン新年の元日だった。午前9時から政府関係者が出席して式典が開かれた後は、ステージ上で歌舞のパフォーマンスが終日、行われた。

 この日の夕方、全国から集合したシャン文芸文化協会の代表者たちによる意見交換会がマンスー僧院で行われ、筆者も同席させてもらった。各代表が一言ずつスピーチするなかで、印象的な場面があった。初めて全国規模のシャン新年祝賀会に参加したという前出のザガイン管区タムー地区の代表が「私はビルマ語でしかスピーチができない」と告白した後、落涙したのである。

 そんな彼の姿を目の当たりにして、筆者は、カチン州とザガイン管区から参加していたタイ・リェンの一行がほぼ全員、ビルマ語しか話さず、シャン語をほとんど理解できていないのを、シャン語を母語とする筆者の知人が冷ややかに見ていたことを思い出した。シャン系の人々の間でも、民族言語であるシャン語に対する距離感はさまざまで、温度差がある。具体的に言えば、シャン語が理解できず、ビルマ語を母語としているもののシャン族としてのプライドを保っている人もいれば、シャン語ができないことに劣等感を感じている人もいるのだ。また、シャン語を”当たり前”のように母語として操り、シャン語ができないシャン系の人々に独特なまなざしを向ける者もいる。
 この事実から、筆者は、シャン系の人々の間で「シャンである」ことの民族意識と、シャン語を習得して「シャンになる」ことの位相が交錯しているのを感じた。シャン語が理解できることは、「シャンである」ことと、「シャンとして認められる」ことにとって、どの程度、必須なのか。その背景には、母語の「ビルマ化」に対する意識が絡んでいる。

「全国シャン新年祝賀会」の初日には、神話に出て来る鳥に扮したキナラ・キナリの踊り手たちがステージを背に舞を披露した(2018年12月6日、筆者撮影)

 最終日の12月9日の夜、閉会式が行われた。軍管区の司令官が臨席したため、会場には幾分、緊張感も漂っていたかもしれないが、司令官自身は周囲と和やかに懇談しているように見えた。閉会式では、ラショー在住のフモン族や、カチン系のラワン族が舞踊を披露した後、ラショー大学の学生や、タイ・カムティ、ラショー在住のパラウン族、そしてヤンゴンで開かれた新年祝賀会の終了後に陸路駆けつけたヤンゴン大学のシャン文芸文化委員会代表らがパフォーマンスを行い、インドから参加したタイ・アホムがステージのフィナーレを飾った。

 なお、この日、ステージ上にはシャン語とビルマ語で「シャン新年祝賀会」と記されたバナーが掲げられていたが、両側のスクリーンにはビルマ語で「シャン州新年祝賀会」と投影されており、関係者の間で物議を醸したことを記しておきたい。このエピソードは、地元シャン州だけではなく、カチン州やザガイン管区、バゴー管区、ヤンゴン管区、ザガイン管区、そしてはるばるインドからもシャン系の文芸文化団体が集まり、全国規模の祝賀会の開催にこぎ着けたことを自負する人々が、「シャン州」という冠称に違和感を抱いた事実を如実に示していたと言えよう。

矛盾する民族意識の求心力とビルマ化の遠心力 

 期間中、ラショー市郊外のメイン会場は連日、賑わっていた。その盛会ぶりと対照的に、ラショー市内のシャン文芸文化協会会館は、初日に文芸功労者の顕彰式が開かれた後も、並行してシャン文芸文化に関する報告会が開催されていたにもかかわらず、終始、閑散としていた。この報告会に発表者として名を連ねていた冒頭のタイ・リェンの人々は、聴衆の反応の希薄さに何を感じただろう。筆者は、シャン新年祝賀会に集まったシャン系の人々の間の関係性のリアリティを目の当たりにした思いだった。

インドから来訪したタイ・アホムの人々やシャン知識人とともに記念撮影する筆者(後列右から4人目)(2018年12月8日、筆者提供)

 シャン系の人々の居場所は、国内外に広がっている。そして、文化イベントの企画者は、シャン系の人々が各地から集合し、ネットワークを構築して連帯することを強く期待している。その現実と願望には、ビルマ王朝時代からその後の英領植民地時代、そして独立後にいたる歴史観や、“再”構築された自民族観、公用語であるビルマ語のプレッシャーを受けながらシャン語で教育を行う難しさ、さらにシャン州と他の行政単位に居住するシャン系の人々の間の意識のギャップなどの要素が交錯していると言えよう。シャン系の人々の連帯を願う民族意識の求心力と、ビルマ化のモーメントに影響される遠心力の間で、矛盾するベクトルが絡み合っている。
 「シャンである」ことと、「シャンになる」ことについてひも解くことは、当事者にとって、空間的に広く、時間的に深く、そして課題として重いことなのである。

(編集部注:第14話は5月7日に公開予定です)

 

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