間近に迫る米大統領選と不法移民問題の行方
トランプ政権とハリス政権で国境政策に違いはあるか
- 2024/10/12
米大統領選挙と上下両院議員選挙の投開票を11月5日に控え、全米で深刻化している不法移民の地元コミュニティへの負担をいかに軽減するかが、大きな争点となっている。
返り咲きを目指す共和党候補のトランプ前大統領は9月13日、最大2万人のハイチ人が流入して地元インフラがパンクした中西部オハイオ州のスプリングフィールド市や、近隣地域を合わせ4万人以上のベネズエラ人移民を受け入れたことで凶悪犯罪が急増している西部コロラド州のオーロラ市から大規模な強制送還を実施することを表明した。しかし、仮にトランプ氏が再選を果たしても、約1100万人に上る米国内の不法移民をすべて強制送還することは、予算面や人員面、インフラ面、さらに司法面からも現実的ではないと指摘されている。

ハイチ人移民たち。米国に不法入国した人たちの運命は今後、どうなるのか (c) Immigration Impact
本稿では、「トランプ前大統領が返り咲き」、あるいは「民主党のハリス候補が当選」の場合にどのような移民問題解決のシナリオが考えられるか予想する。
米経済に不可欠な不法移民労働力
移民を大統領選の主要争点に据えるトランプ前大統領は4月、タイム誌の取材に対して「州兵なども動員して1500万~2000万人の不法移民を強制送還する」と語った。しかし、現実味も実行可能性も低いと言わざるを得なく、就任後、「公約」をこの規模で実行に移すつもりではないと思われる。むしろ、不法移民支援の負担増に疲れた有権者たちに対して、「実力行使で移民問題を片付けてくれる大統領」というイメージを売り込み、投票を要請するリップサービスの意味合いが大きいだろう。

ペンシルベニア州ワシントン郡の教会で英語の講座に参加するハイチ難民たち。この地には、およそ2000人のハイチ人が定住したと推定されている (c) Charleroi Presbyterian Church
トランプ前大統領は2016年の大統領選でも不法移民の大規模な強制送還を公約に掲げていたが、就任後に実行されることはなかったとCNNが指摘している。最も大きな理由は、安価で豊富な労働力である不法移民に米経済が依存しているからだ。
対する不法移民も米政府が掲げる移民政策の本音と建前について熟知している。また、密航が成功するチャンスも、それなりに高い。バイデン・ハリス政権が「開かれた国境」政策を掲げて2021年1月に発足すると、少なくとも630万人以上の不法移民が吸い寄せられるように押し寄せ、うち400万人はメキシコや出身国へ送還されたものの、残り230万人以上は米国内に残留を許され、釈放されたのだ。このほか、税関・国境警備局(CBP)の目を逃れて不法に米国内に入境した者もおよそ40万人いると推定される。
こうした移民たちは、新型コロナウイルスによるパンデミックの際、連邦政府から給付金を受けて自宅にこもった米国人労働者に代わり、農業やサービス、製造業などの分野で労働力不足を補うことになった。当時、全土にロックダウン(経済封鎖)が敷かれたにも関わらず米経済が堅調な成長を維持できたのは、多くの不法移民が感染のリスクを負って最前線で働いてくれたためなのだ。
恩恵を上回る受け入れコストの肥大
しかし同時に、米経済の受け入れ能力をはるかに上回る不法移民が米国に入国したのも事実だ。
その一人、2023年にハイチから冒頭のスプリングフィールドにやって来たパトリック・ジョセフ氏は、米公共ラジオ局NPRのインタビューに答えて「パンデミックのせいで失業したんだ。そんな時に“スプリングフィールドに行けば必ず仕事がある”と聞いて来てみたら、製造業と通訳の仕事にありつけたよ。でも、最初は2つのベッドルームしかない家に15人のハイチ人たちと住んでいたんだ」と語っている。あまり国境を意識していない様子が伝わってくる。
こうして短期間に2万人ものハイチ人を受け入れたスプリングフィールド市では、住宅費の高騰や地元賃金の押し下げや失業率の上昇、移民のための医療・教育・住宅支援・社会保障コストの肥大化が大きな社会問題となっている。
これを受け、古くから同市に住むリチャード・ジョンソン氏は米保守派テレビ局ニュースマックスのインタビューに対して「ハイチ人たちは俺たちの血税で甘やかされ、“よちよち”されているにも関わらず、そのことに文句を言う白人は人種主義者扱いされるんだ。俺らはいわば二級市民だよ。もうたくさんだ」と、憤りを隠さない。
こうした事情から、トランプ氏が再選した暁には、米国民をある程度納得させるためにも今回こそ何らかの形で公約を実現する必要がある。
そんなトランプ氏が構想しているのは、かつて共和党のアイゼンハワー政権下で1956年にメキシコ国籍の不法移民を130万人以上一斉検挙し、メキシコに送り返した「ウェットバック作戦」に倣った強制送還だ(もっとも、この作戦で実際に送還されたのは130万人をはるかに下回ったと言われている)。
4年前にスプリングフィールド市に定住し、ハイチ人コミュニティのリーダーを務めているバイルズ・ドーサインビル氏も、NPRの番組で、「われわれへの風当たりが強くなってきたため、ここに残るべきか、別の場所に移るべきか思案している」と、苦しい胸の内を語った。
米有力シンクタンクであるピーターソン国際経済研究所のウォーウィック・マッキビン研究員らが9月にまとめた報告書によると、「130万人を強制退去」のシナリオが実行された場合、2028年までに米国の国内総生産(GDP)が1.2ポイント減少するという。
一方、上の図は、強制送還が行われた場合、不法移民労働者が多く従事している農業(緑線)やサービス(赤線)の価格が1.6ポイント上昇し、そのまま高止まりすることを示している。
また、これに伴い、米国の物価上昇率が2025年に0.3ポイント、2026年には0.5ポイントまで上昇するという予測もある(下図)。つまり、米経済にとって不法移民は必須の存在であり、彼らを強制送還すれば、インフレの高進をはじめ米国民の生活に大きな打撃がある。
強制送還にかかる膨大な労力と費用
「第2次トランプ政権」が大規模な強制送還を実行すれば、経済面の悪影響だけでなく、司法面でも合法性が争われることになると指摘するのは、移民学研究センターのマーク・クリコリアン所長だ。もっとも、そもそも不法滞在者は法を犯しているため、保守化した連邦最高裁のレベルまで争われれば、いずれは強制送還の対象となる可能性が高い。
問題は、連邦政府にどれだけの不法移民を逮捕・収容する能力と予算があるかだ。不法移民を1人探し出して逮捕令状を請求・執行し、裁判で強制送還の命令を得るまでの労力と費用は膨大だ。トランプ前大統領は地元警察に圧力をかけ大量拘束に踏み切りたい考えだが、移民に同情的なリベラル地域では自治体が協力を拒むだろう。
加えて、強制送還のためには、収容施設の建設や収容費用、送還にかかる航空便や旅客船の運賃など、天文学的な予算も必要だ。さらに、メキシコをはじめ不法移民の出身国が多数の送還者の受け入れを拒む可能性もある。

ハイチ難民の家族。彼らをすべて受け入れる能力と意思は米国にあるのだろうか。 (c) Catholic Charities Community Services
つまり、1100万人以上の不法移民をすべて強制送還することは物理的に不可能である。2017年から2021年にかけて大統領を務めたトランプ氏自身もそのことを熟知しており、不法移民に依存する米国人雇用主を真っ向から困らせる政策には踏み切れないだろう。
「落としどころ」はどこか
では、「落としどころ」はどこにあるのか。まずは、新たな不法移民の流入を最小限に抑えることが当面の課題とされ、国境警備の強化や「国境の壁」の延伸が矢継ぎ早に実行されるものと思われる。
またトランプ氏は、第1次トランプ政権で策定し、バイデン政権により破棄された「メキシコ待機(Remain in Mexico)」政策を復活させるだろう。これは、ハイチやベネズエラなど、主に中南米出身の難民たちに対し、難民認定申請の審査結果が出るまでメキシコに送り待機させるというもので、米国民からも支持を得ると思われる。
そして、これは11月の選挙で共和党が上下両院を押さえられるかどうか次第だが、国境対策を大幅に厳格化する法案が可決される可能性がある。その場合は、強制送還の迅速化に向けた予算と人員の確保が盛り込まれるだろう。

2021年9月にフロリダ州マイアミで行われたデモで、ハイチ難民の強制送還に反対の声を上げる参加者たち。 (c) PantherNOW
一方、強制退去をスムーズに行うためには、「米国にとって役立つ移民」と「犯罪者や非就労者など送還に適した移民」の選別も必要だ。このプロセスでは、不法移民をどれぐらい残留させたいかという雇用者側の要望と、どれぐらい送還してほしいのかという受け入れコミュニティ側の要望を踏まえて米議会が審議し、連邦予算がつけられて具体的な送還人数の目標が決められるだろう。
事実、アイゼンハワー政権が実行した130万人規模の送還政策は、多くの不法移民労働者の合法化とセットで実施されたために雇用者側から受け入れられたという経緯がある。この前例に基づけば、「第2次トランプ政権」でも、現時点で雇用され米国に貢献しているとみなされた不法移民たちには合法化への道が開かれる可能性が高い。
トランプ候補が選挙向けに峻烈な反移民言説をエスカレートさせる一方、副大統領候補のバンス氏が「トランプ・バンス政権の移民政策は思いやりのあるものになる」と語ったのは、貢献度の高い移民に対して在留資格を与える計画の予告ともとれる。