「98年の悲劇を繰り返すな」 インドネシアで大規模な反政府デモ
「ジャカルタ暴動」を経て実現した民主主義の現在地とこれから
- 2025/10/21
インドネシアで8月末から9月初旬にかけて、政府の経済政策などに抗議する大規模なデモが広がった。ことの発端は、国会議員に対する高額な手当への反発だ。当初は、比較的平穏なデモだったが、バイクタクシー運転手の男性が8月25日に警察車両にひかれて死亡したのを機に、警察や国家権力への批判が激化。放火や略奪を含む暴動に発展し、死傷者が出る事態となった。
演説だけでなく構造改革を
今回の騒乱を受けて、インドネシアの地元紙ジャカルタ・ポストは複数の社説を出した。
まず、9月1日付の社説では、「98年の再来ではない」と題し、今回の抗議デモを1998年に起きた「ジャカルタ暴動」の再現にしてはならない、と強く訴えた。
「ジャカルタ暴動」は1998年5月、経済状況の悪化や政府の汚職などに不満を持った人々による反政府デモが拡大するなかで発生した。デモに参加した学生4人が治安部隊に射殺されたのを機に暴動となり、1000人以上が死亡したと言われている。この事件により当時のスハルト大統領は退陣し、32年にわたる独裁体制が崩壊した。
今回のデモ拡大を受けて、社説は「インドネシアは今、1998年の民主化以来、最も不安定な局面にある」と位置付け、「プラボウォ大統領にとって最大の試練が訪れている」と、指摘する。さらに、「その背景には、経済的な不平等に加え、処罰を受けないエリート層の存在、国民の苦境に耳を貸そうとしない政治家といった、1998年当時と同じ状況がある」と続ける。
社説は、今回の抗議を受けてプラボウォ大統領が行った演説について、「平和的な抗議を尊重することを約束し、警察の過剰な武力行使を公然と非難した。さらにインドネシア政治では珍しい“説明責任”も示した」と一定の評価を下したうえで、「いかに巧みに語られようとも、言葉を並べるだけでは不十分だ」と釘を刺し、「政権が国民の信頼を真に得ようとするなら、まずトップから清算に動かなければならない」と述べる。
そのうえで、「今回の騒動を1998年のジャカルタ暴動の再来としないために、大統領には今、単なる危機管理以上のことが求められている」「そのためには、まず問題の根本原因を理解していることを示さなければならない。公式に謝罪するだけでなく、真の構造改革を進めなければならに」と主張し、根本的な解決に取り組む必要性を訴えている。
「1998年の過ちを繰り返してはならない。成熟した民主主義へと至る、勇気と謙虚さと責任感に彩られた指導力の出発点とせよ」
SNSの拡散で社会は変えられるのか
また同紙は、9月15日付で「ハッシュタグを超えて」と題した社説を掲載した。今回の抗議行動がSNS上で瞬時に拡散されたことについて論じたものだ。
「不満から始まった抗議は、正義と尊厳、国家の説明責任を求める叫びへと急速に発展し、拡散されていった。しかし、ハッシュタグがトレンド入りし、議員特典の一部が撤廃された今、次に問われているのは、“ここからどう進むのか”だ」。社説はこう述べて、抗議行動の「これから」について問いかける。
この議論は、インドネシアにとどまらない。最近では、ネパールやバングラデシュなど、政権交代を実現させた若者たちによる抗議行動にも通じる論点だと言えよう。社説は、ソーシャルメディアに精通した両国の若き活動家たちを高く評価する一方で、「影響力と指導力を混同すべきではなく、拡散力と勝利を同一視すべきでもない」と言い切り、「ソーシャルメディアによる影響力や拡散力と運動の成功を取り違えてはならない」と釘を刺す。
また、「オンラインを通じた動員によって社会的な議論に火は付くかもしれないが、有機的な運動構築という、深く忍耐強い作業に取って代わることはできない」と論じ、「ネット空間で現実社会に変化を生み出すことはできない」と冷静な視点を投げかける。
さらに社説は、「市民、特にこの運動で新たに目覚めた人々は、傍観したりハッシュタグの陰に隠れたりしているだけでは不十分だ」「この瞬間は転換点となり得る。選択はいつも通り、我々の手にゆだねられているのだ」と述べ、一人一人が傍観者にとどまらず、社会に変化を起こす主体として行動するよう訴えている。
(原文)
インドネシア:
https://www.thejakartapost.com/opinion/2025/09/01/not-a-98-repeat.html
https://www.thejakartapost.com/opinion/2025/09/15/beyond-the-hashtags.html













