西方ちひろ著『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』が出版
クーデター直後の市民の思いと町の実相を記録 

  • 2025/10/2

 2021年2月1日未明にクーデターが発生したミャンマー。アウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統領をはじめ、国民民主連盟(NLD)の幹部らを拘束して実権を握った軍は、クーデターに抗議する市民への弾圧を強める一方、通信手段を遮断して人々の団結と情報の拡散を妨害した。
 そんななか、インターネットが切れる現地の深夜1時(日本時間の明け方3時半)近くになると、最大都市ヤンゴンから頻繁に更新され大きな反響を呼んだ日本語のSNSアカウントがあった。報道では削がれがちな市民の思いに敬意をもって寄り添いながら町の実相を丁寧にすくい上げようとする描写が印象的で、ミャンマーが朝まで世界と切り離されてしまう前にその日の出来事や人々の発言を書き留め、伝えなければ、という気迫にあふれていた。
 一連の投稿をもとにした書籍が9月末、出版された。リアルタイムな臨場感はそのままに、クーデターの背景や、収められている投稿の後から現在にいたる政情が加筆され、当時の更新を知らない人にとっても読みやすく再構成されている。著者の西方ちひろさんに話を聞いた。

「青空の下、清々しいほど平和に始まった」抵抗

 本書は、2021年2月1日の朝から始まる。早朝、目が覚めてクーデターが起きたと知った西方さんは、トイレットペーパーを買い忘れていたことを思い出し、「半分はトイレットペーパーのために、半分は怖いもの見たさに」市場にでかけ、いつも通りの町の様子に首をかしげる。その平穏が「かりそめの光景」で、インターネット上では市民の抵抗運動がすでに始まっていることを知ったのは、翌朝のことだった。西方さんがフェイスブックを開くと、軍政への拒否を呼びかける投稿がハッシュタグとともに秒刻みで積み上がり、公務員が職務を放棄することで軍の国家運営を機能停止に追い込もうとする「市民的不服従運動(CDM)」への参加の呼びかけも行われていた。「何十年もの間、何度も弾圧され、殺され、負けてきた」ミャンマーの人々は、軍に弾圧の理由を与えないように、あくまで暴力によらない方法で抗議の意思を示そうとしていたのだ。
 抵抗は、インターネット上にとどまらなかった。クーデターの翌日からは、夜間外出禁止令が始まる夜8時から鍋やフライパンなどの金属製品を窓辺で打ち鳴らす抗議運動が毎晩、行われるようになる。週末には人々の連帯を警戒した軍が電話やインターネットなどの連絡手段を遮断したものの、人々は井戸端会議を装って街角に集まり抵抗を示す三本指をさり気なく立てたり、大通りで抗議のクラクションを鳴らしながら車を走らせたり、車窓から三本指を突き出し、同じように三本指を立てて応じる歩行者とうなずき合ったりしながら、無言で抗議を示した――。クーデターの直後からさまざまな形で市民が示していた抵抗を「青空の下、清々しいほど平和に始まった」と表現する西方さん。抗議の勢いが日ごとに増大し、アウンサンスーチー氏の解放を訴え街に人々が繰り出す姿や、NLDのシンボルカラーである赤色が街中に広がっていく様子を、あたたかいまなざしで、時に軽妙に、生き生きと描く。
 しかし、そうした抵抗は、ほどなく力によりねじ伏せられていく。西方さんは、軍が5人以上の集会を禁じる通達(弾圧予告)を出した日のことや、弾圧の標的にならないよう家々の窓辺から赤色が消えていく様子、それでもデモに向かうと言う仕事関係者を見送る複雑な心境も赤裸々に綴る。そして、ついに首都ネピドーで女性が頭を撃たれ、銃声は他の街にも響き始める。次々に拘束され、命を落とす市民たち――。
 当時、仕事でヤンゴンに滞在していた西方さんが、日を追って悪化していく街の状況や、周囲の人々との会話を記録しようと使ったのが、冒頭のSNSだった。ミャンマーの人々が、これまでどれだけ多くものを一方的に奪われ続けてきたのか、その不条理を図らずも自身も日々、現地で体験するなか、「日本人の私にできるのは、目の前の光景や友人の言葉を日本語で発信し、一人でも多くの日本人に伝えること」だという思いに突き動かされてのことだった。

アウンサンスーチー氏の写真を手に、クーデターに抗議する人々(2021年2月8日撮影)© AP/アフロ

 ミャンマーでは、クーデターから4年半以上が経ってもなお、各地で戦闘が続いている。自治権を求める複数の少数民族武装勢力が軍に対抗して戦闘を続けているうえ、クーデターを拒否する若者のなかには、武器を手に国民防衛隊(PDF)を組織する者や、少数民族武装組織から軍事訓練を受けた後、PDFに加わり軍との闘いに身を投じる者もいる。一方、軍は「抵抗勢力」が潜伏しているという名目で各地に空爆を続けている。そうした現状を「内戦状態」「危険」だと切り捨てることはたやすい。しかし、クーデターによって突然、奪われた未来を取り戻そうとインターネットで闘い、非暴力による抵抗を続けていた市民が、「日本もほかの外国もアテにしない」、「自分たちで闘うしかない」、「ぜんぜん怖くないよ。死ぬかもしれなくても」と発言するようになる過程をすぐそばで見てきた著者は、真っ向からそれに疑問を呈し、こう問いかける。「優しい市民はなぜ武器をとったのか」と。

「託された思いを埋もれさせない」

 西方さんが自身の個人アカウント上で始めた投稿は注目を集め、数千単位のリアクションがつき、拡散されるようになった。なかには、ミャンマー語や英語に翻訳してシェアする人もいた。特に大きな反響を呼んだのが、日本に住むミャンマーの人々が各地で支援を訴えるデモをしている理由を日本人に知ってもらおうと、友人の笹本玲緒奈さんとともに制作したイラスト解説だ。シェア数は、FacebookとX(旧twitter)を合わせると1万件を超え、ミャンマー人が日本の各地で募金を呼びかける際、パネルやパンフレットに利用するようになったほか、メディアでも紹介され、反響の大きさに驚きながらも「ミャンマーの人々の思いを代弁できている」と安堵した。投稿していた個人アカウントの名前が自分のあずかり知らぬところで広まっていくことには「漠然とした不安を感じた」ものの、「ミャンマーの人々が拘束や拷問といったリアルな恐怖を感じながら態度を明らかにして闘っているなか、不安に負けてなんていられない」という思いが強かったという。その後、さらに悪化していく情勢と、仕事関係者たちの安全を鑑みて、クーデターから1カ月半が経った3月中旬頃に匿名のアカウントに切り替えたが、反響は変わらなかった。

 そのかたわら、西方さんは、ドットワールドでもクーデターに抗う人々の思いをたびたび伝えている。たとえば、「医療が崩壊したミャンマーで命を救い続ける医師」(2021/4/30付)では、軍政のもとで働くことを拒み、CDMに参加して公立病院を去った医師たちが、軍の目をかいくぐってけが人の治療を続ける姿を描いた。

 また、翌2022年にはタイに渡航し、バンコク芸術文化センターで開かれた写真展に登壇したミャンマー人写真家の訴えを紹介する記事「【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実①】写真家らが語る難民の果てなき逃避行」(2022/11/5付)や、軍の弾圧を逃れたミャンマー人が多く流入するタイ西部のメソトで出会ったPDF兵士の思いに迫る記事「【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実②】メソトに潜伏する民主派兵士の決意」(2022/11/30付)、そして、クーデター後、軍政下で殺害・拘束された市民の情報を連日、発信している人権団体「ミャンマー政治囚支援協会」(AAPP)の本部で働く元政治囚の職員の思いを伝える記事「【タイ・ミャンマー国境の不都合な真実③】人権侵害を伝えるAAPP、不屈の闘い」(2022/12/22付)なども連載している。

AAPP本部の展示室でミャンマーでの人権侵害の状況などについて語る職員。机上には、ミャンマーで最大のインセイン刑務所の模型が置かれている(西方さん撮影)

 そんな西方さんが投稿を書籍にしたいと考えるようになったのは、思いを託してくれた人たちの言葉を埋もれさせず残さなければという思いからだ。知人や現地に詳しい人などから「市民の感情や町の空気など、メディアが字数や時間枠の制約で落とさざるを得ない部分が詳細に描かれている」「自分の周りのミャンマー人たちも同じように言っている」という言葉をもらったことにも背中を押された。帰国後、15万字超の投稿を読み返しては、リライトを続けた西方さん。伝手をたどっていくつかの出版社にも相談したが、どこも「中身はいいが売り延ばせない」という反応で話は進まなかった。「右傾化する国際情勢のなかでミャンマーがどう位置付けられるか、中国やロシアとの関係などについても盛り込むべきではないか」と言われた時には、「伝えたいのはそこではない」と感じる一方、一人一人のミャンマー市民の気持ちなど誰も関心がないのだろうかと自信を失い、しばらく原稿を開くことができなくなった。自費出版も考えたが、「それなら同じ金額を募金した方が、よほどミャンマーのためになるのではないか」という思いがよぎり、踏み切れなかった。
 膠着していた事態が動き出したのは、2024年末のことだった。しばらく開けずにいた原稿ファイルをたまたま出会った編集者に送ったところ、数日のうちに目を通して「出すべき本」だと言ってくれたのだ。今もミャンマーで暮らす友人たちが、万が一にも軍から嫌がらせを受けることがないように、彼女自身が著者として本名と顔を出せないうえ、文中の人物や都市も「友達」「地方都市」としか表記できないことをすべて理解してくれる「心ある編集者」のおかげで、ついに出版構想が始動した。

当事者との距離感に根差した誠実さと謙虚さ

 とはいえ、クーデターから4年以上が経過したタイミングで出版するにあたっては、それまで一人で進めていたリライト作業を大幅に上回る加筆――ミャンマーの歴史や民族、日本政府の対応、最近の状況など――が必要だった。話を聞かせてくれた人たちの表情や、声のトーンを思い出しながら再び原稿と向き合っていると、当時の感情がありありと蘇り、彼らの思いが詰まった原稿を長く自分の手元にとどめていることに申し訳なさがこみ上げてきたという。
 そんな西方さんにどうしても聞いてみたいことがあった。本書には、不安や緊張、憎しみといった感情に駆られた彼女が、周囲の仲間に質問を繰り返しては冷静に諭されたり、「君は知らないんだ」「君には僕たちの気持ちを本当に理解することはできない」などと言われたりする場面がしばしば描かれる。ミャンマーの人々と共に憤り、次々と繰り出される非暴力の抵抗の形を敬意とともに応援し、強くしなやかな彼らの背景や思考に寄り添おうとしていたにも関わらず、距離を感じることはなかったのだろうか。
 そう尋ねると、西方さんはまず「彼らの方が一見、冷静に感じられるのは、長年にわたり軍事政権下を生きてきたなかで、表面上は服従しているように見せながらも内心はまったく屈していない“面従腹背”の術(すべ)を身に付けている人々だからではないか」と言った。そのうえで「自分が突き放されたようには感じなかった」「民主主義の国で生まれ育った私の質問や発言が、それだけ彼らにとっては的外れなものに思えたということだろう」と、淡々と振り返った。さらに、「誰も自分たちのことを理解してくれない」とつぶやく一方で、毎晩のように電話をしてきたり、「僕らが武力で反撃することについて、君はどう思う?」と聞きたがったりする彼らの姿からは深く傷ついている様子が伝わってきて、国際社会が彼らに耳を傾けようとしないことに焦燥感を感じた、と続けた。

最大都市ヤンゴンの中心部、スーレーパゴダの周囲で軍に抗議の声をあげる市民 (2021年2月8日撮影)©ロイター/アフロ

 西方さんは、2011年に起きた東日本大震災の後、被災地の避難所で1年間、ボランティアをしていたことがある。当時、被災者に寄り添おうと心を砕いたが、そうすればするほど、帰る場所がある自分と、家や家族を失った彼らは同じ立場になり得ないことを思い知ったという。当事者の思いを背景とともに理解し、受け止めようとする誠実さと、聞いた話を人に伝える時に代弁者のように振る舞おうとしない謙虚さの両方を併せ持つ西方さん。その絶妙な距離感は、この被災地での経験にも影響を受けているのかもしれない。実際、西方さんの投稿は常にミャンマーの人々の言動や心情にまなざしが向けられ、彼女自身の分析や思いは最小限にとどめられていた。出版にこぎつけた今も、「これはあくまでミャンマーの人たちの本」だという考えは変わっていない。

尊厳なき生に絶望した時の唯一の希望 

 仕事と発信のかたわら、西方さんは医療支援にも力を注いでいる。対象は、難民キャンプや無医村地域の住民など、心身に傷を負い、手当てを必要としているのに支援が行き届いていない人々を処置している農村部の医療チームだ。クーデターの翌月から、帰国後、現在にいたるまで、仲間とともに寄付を募っては、信頼できる関係者を通じてモバイルクリニックの運営や避難民キャンプの衛生改善に必要な医薬品と手術器具などを届けている。これまでに、特に激しい戦闘が続く東部のカイン(カレン)州や、南西に位置するラカイン州などに支援を行ってきたが、人道支援を展開してきたアメリカの国際開発庁(USAID)がトランプ大統領の決定により今年7月に事業を停止して以来、支援の必要性が一層高まっていることを痛感している西方さん。「医療支援は、あくまで対症療法」、「民主化の推進に直接つながるわけではない」と感じているが、「平和な未来を生み出すための闘い」に賛同し、武器を手にすることをあえて選んだ若者たちの命が一人でも多く救われることを願い、活動を続けている。
 一方、その過程では必然的に支援先から送られてくるあまたの戦傷者のむごい写真を目にしてきた西方さんは、武力闘争が決して勇ましい精神論的な言葉で美化できるものではないことを十二分に理解している。だからこそ、「尊厳なき生に絶望したとき、武力闘争が唯一の希望になることがあるのだと知った」と述懐する彼女の言葉は、重い。そして、彼女をしてそう言わしめる人々――身体の一部を失ってもなお「後悔していない」とほほ笑んでみせる若者たち――が見ている現実と、描く未来の隔たりの大きさに胸が詰まる。
 「おわりに」で書かれている通り、ミャンマーの未来はまだ見えない。クーデター直後に西方さんの周囲の若者たちが「軍政にNOを示さない人たちにソーシャルパニッシュメントを与えて孤立させる」と息巻いていた頃の描写がのどかに感じられるほど、人々は今も力で抑え込まれたまま、年末には軍による「選挙」が行われようとしている。権力とは、国とは何か。国際社会はこの4年半、その問いに向き合おうとすらしてこなかったのではないか。本書はそう厳しく糾弾しているようでもある。

 西方さんは今後、ミャンマーにだけこだわるつもりはないという。「自分の専門性を生かし、必要とされる場所で、自分にできる最善のことをしたい」という言葉に、国際協力に携わる者としての矜持が滲む。それでも、「ミャンマーは、大好きな人たちや尊敬する人たちがいる特別な国」「どこで仕事をしても、ミャンマーから心が離れることはないだろう」と話す表情は、このうえなく優しい。「ミャンマー支援は、今後もライフワークのように続けると思う」と続けるのを聞いて、彼女なら間違いなくそうするだろうと感じた。
 迷い、葛藤し、絶望し、それでも模索し、一歩ずつ進み続けるミャンマーの人々の底力を信じ、背中を見続ける西方さんが、4年半をかけて書き上げた「来たるべき明日を奪われ、理不尽に翻弄され、それでも未来を信じて生きる名もなきミャンマー市民たちの物語」が、多くの日本人に届き、ミャンマーの明るい未来を拓く後押しとなることを心から願う。

 

【書籍の概要】

『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』
著者:西方ちひろ
発行:ホーム社
発売:集英社
定価:1800円+税

 

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